難病ALSと闘う inayan777のブログ

私は現在ALS(筋萎縮性側索硬化症)という難病と闘っています。この難病は10万人に1人と言われる原因不明の神経性難病です。今から100年以上も昔に発見された病気ですが、現在の医学では治すことができないのです。症状の進行は驚くほど速く、発症して1年3ヵ月後に胃瘻を造設して、その4ヶ月後には両肩関節機能全廃となり、身体障害者手帳3級(現在1級)になりました。介護認定も行っており要介護5になりました。このブログでは発症してから現在までの経緯や日々進行していく身体の変化、日常生活の様子、現在感じていることなどをご紹介していきたいと考えています。私は同じような難病や病気と闘っていらっしゃる方々と共にこの難病と闘い、絶対に乗り越えていこうと思います。また、この難病に少しでも関心をもってくださっている方々からもアクセスしていただければ大歓迎です。日々進行していく病気との闘いとの恐怖の中で、心だけは絶対に負けないように生きていこうと思います。ともにがんばっていきましょう!!

胃ろう造設手術と胃ろう交換

先週は半年に一度の胃ろう交換でした。
胃ろう造設手術から4年が経ち8回目になります。



1回目~3回目は手術を受けた大学病院での入院交換でした。

胃ろう交換は20分程度で他に血液検査、CT検査、嚥下検査があり、3日~4日程度の入院でした。


大学病院での入院生活はまだ症状が軽い時期だったこともあり、不自由なく快適に過ごせました。10階の病棟からはとても見晴らしがよく、入院回数を重ねる度に看護師さんとの再会も楽しみでした。



しかし、楽しいことはいつまでも続きませんでした。急性期病院のため病院を変わることになり、5回目からは在宅で行っています。



病院では看護師さんが付き添い、若手医師が見学に入ったりすることもありましたが、在宅では往診医が2回目以降は一人でやって下さってます。


胃ろうカテーテルを抜く時と新しいカテーテルをはめ込む時は痛むので我慢しないといけないですが、ほんの一瞬ですので体への負担は感じません。



いつもお昼過ぎに行うので、お昼(胃ろうからの経管栄養)は絶食になりますが、朝夕の食事は通常と変わりません。



胃ろうは内視鏡を使って造られたお腹の小さな穴のことで、お腹の表面と胃がカテーテルで繋がっています。



お腹の口(胃ろうカテーテル)は抜けないように、胃内固定版と体外固定版で止めています。


これだけの情報だと手術も術後の生活も大変そうでできれば避けたいと思いますよね。


ではなぜ胃ろう造設手術が必要なのでしょうか。

ALS(筋萎縮性側索硬化症)が上肢、下肢の他に嚥下機能まで麻痺する病気だからです。

病気によっては一時的に胃ろうを使って経管栄養を行い、再び口から栄養を摂っている人もいますが、ALSでは嚥下機能が回復して再び食べられるようになることはありません。


呑み込みが上手くできないと食道へ流すために、気管支入口に蓋をする役目の弁が正常に働かなくなり誤嚥性肺炎を引き起こしてしまうのです。


胃ろう造設手術は口から内視鏡を入れて行うため、嚥下機能や肺活量が低下してからでは実施が難しいので、症状が軽度の段階で医師から勧められます。


私は医師から上記の説明を受けて、避けることができないと手術を決意しました。

胃ろう造設手術はわずか20分程度で終了し、想像していたよりも簡単で楽な手術でした。




患者家族交流会では診断告知を受けて間もない人もいらっしゃいますが、その中には人口呼吸器装着も胃ろう造設もやりませんと仰る人もいらっしゃいます。

情報不足だと思いますので、医師からしっかり説明を受けたり、体験者に聴くなどして正しく認識していただきたいですね。



胃ろう造設手術で取り付けられる胃ろうカテーテルですが、劣化しますので定期的に交換となります。

胃内固定版が「バルーン(風船)型」 と「バンパー型」の2タイプがあり、「バルーン型」は1ヶ月ごと、「バンパー型」は半年ごとです。「バンパー型」は「バルーン型」と比較すると交換時に痛みを伴いますが、安全性が高いので医師からは「バンパー型」を勧められました。


私の命を繋いでくれた胃ろうカテーテルです。今回初めて見ましたが、お腹表面からのかなりの深さに驚きました。
半年間でこんなに汚れるとは!
末端部がバンパーです。




8回目の胃ろう交換も無事終わり一週間が経ちましたが、トラブルもなく順調です。食べられないのは辛いですが、生かされていることの有難さとは比較にならないです。



毎日当たり前のように胃ろうからラコール、エンシュア、野菜ジュース等を入れているだけですが、しっかり健康が維持されているのは凄いことだと思います。


今回の胃ろう交換も順調で往診医の先生には感謝の思いで一杯です。




最後まで読んでいただきありがとうございました。


想い出の上高地

2014年1月30日ALS(筋萎縮性側索硬化症)と診断された時に、医師から「この病気は現代の医学では治す薬がありません。平均して2年~4年で寝たきりになり、人工呼吸器を付けないと呼吸不全で平均余命5年位です」と言われました。
ALSは発症から告知を受けるまでが1年から2年位の人が多いようです。告知までの期間が長いのはALSが10万人に1人か2人の確率で発症する難病なので診断が難しいことにあります。私の場合は発症から告知まで7ヶ月と早かったので、症状が進行してましたがまだ軽度の状態でした。


主治医からは「まだ元気なので美味しいものを食べたり、旅行を楽しんでください」言われ、告知から2年間位は旅行を楽しみました。


私は若い頃山登りが好きでしたので上高地を何度か訪れましたが、カラマツ林の紅葉を見たことがなかったので、一度は見たいと思い3年前の10月下旬に旅行しました。



家内と二人で名古屋駅から直行バスに乗り、飛騨高山、平湯経由で上高地へ入りました。
家内は終点のバスターミナルまで乗りましたが、私は大正池で降りて河童橋までハイキングを楽しみました。


写真は大正池です。大正池といえば立ち枯れの木が有名ですね。
今から約100年前の大正時代に焼岳の噴火で梓川の水が堰き止められてできた池ですが、焼岳からの土砂で年々狭くなってます。30年前に見た時と比べると随分狭くなっていて驚きました。



焼岳は活火山です。



ダケカンバでしょうか。🍁が色づいてきれいでした。



田代池です。神秘的ですね。



カラマツの紅葉が見事でした。




穂高連峰と河童橋です。



焼岳と河童橋です。



河童橋から明神池方面へ数百メートル歩くと小梨平に着きます。


小梨平にはキャンプ場があります。この時期はひっそりとしてました。



ギザギザのピークが幾つも続いています。右端近くのやや広いピークが西穂高岳頂上です。



梓川へ繋がっています。



上高地で一泊しました。翌朝も晴れでした。青く澄み切った空は気持ちが良いですね‼ この時期は天候が安定しています。



とても爽やかな朝です。気分は最高です‼
この時間に見かける人は殆どが前日の宿泊客です。



河童橋から見た焼岳です。迫力ありますね。



五千尺ホテルレストランからの眺めです。



秋晴れに恵まれて奥穂高岳頂上まではっきり見えました。




河童橋を渡った梓川西岸です。



上高地帝国ホテルでお茶です。深紅の屋根で山小屋風に建てられたリゾートホテルです。



上高地バスターミナルへの小道です。この時期が一番綺麗ですね。
11月に入ると本格的な冬を迎えます。中旬には上高地のホテルや旅館は5か月間の冬季休業に入るので観光シーズンも終わります。



上高地は過去にも旅行しましたが、初めてカラマツが紅葉する時期に訪れ、天候にも恵まれて大満足でした。
翌年も訪れましたが、首の筋力が低下して長時間の歩行が難しくなってました。また、握力の低下も進んでデジカメが持てなくなってました。嚥下機能も低下してホテルの料理が殆ど食べられなくなってましたので、障害が軽度の時に錦秋の上高地を満喫できて本当に良かったです。

あの時から3年が経ちましたが、楽しかった想い出として心の中に残っています。


いつもは療養生活ブログばかり書いてますが、旅行ブログを書いていると楽しかった想い出が蘇り、気持ちも前向きになりました。



最後まで読んでいただきありがとうございました。

発症直後の頃の思い出

発症直後の5年前を思い出していました。
右腕に異変を感じてから3ヶ月が経っていましたが、右腕が上がりにくく力が入らなくなり、腕立て伏せができなくなっていました。

五十肩かもしれないと思って整形外科へ通院していましたが、右肩も少し痩せ始めているようでした。



この頃は電気部品メーカーに勤務していて総務と経理の管理を任されていましたが、担当業務も兼務していたので仕事は大変忙しかったです。
午前7時20分までに出勤し、毎晩午後9時~11時位まで会社にいました。日曜以外の休日は殆ど会社へ行ってました。


50代後半の身体にはきつかったですが、毎日6時50分頃、午後3時頃、午後6時頃と1日3回リポビタンDなどドリンク剤を飲むと身体がシャキッとしました。



日曜はスーパー銭湯へ行ったり、昼寝をして平日の睡眠不足を補っていました。こんな生活が3年位続いていましたが、風邪をひいたこともなかったので健康には自信をもっていました。


すでに難病を発症していたことも知らずに、定年までもう少しだから我慢しよう。退職して身体が楽になったら、山登り、写真、ドライブ、旅先で美味しい物をいっぱい食べることなど趣味に勤しみ、取得している国家資格を活かして事務所を開業することなどを思い浮かべながら頑張っていました。



しかし、身体の症状は徐々に進行し、この年の10月後半頃にはパソコンが少し打ちづらくなってきました。整形外科医にこのことを話しましたが、もう少し様子をみましょうとのことでした。


通院を続けて3ヶ月目に入っても症状が軽くなるどころか逆に症状の範囲が広がっているように感じたので、通院先を変えることを考えながら日々を送っていました。




この頃いつも感じていたことがありました。2年前に息子の結婚式で親族を代表して挨拶をした時に感じたことです。


親戚が一堂に会して祝福してくれて自分はなんて幸せなんだろうとこの上ない幸福感に包まれました。
その時の余韻が何日も続きました。
翌年には初孫が生まれ、嬉しいことが重なりました。

転職という人生の転機もありましたが、生まれてから何ひとつ不自由なくほぼ順風満帆な人生でした。



会社通勤は自動車でしたので、帰りの運転はよくCDを聴いて仕事の疲れを癒しました。中島みゆきさんの曲は多くは知りませんが、「時代」には心が惹かれました。


今までの人生を振り返り辛いことが多かったけれども、未来へ希望を持って生きていこうと前向きな気持ちにさせてくれる曲でした。



定年まで仕事を全うして思い描いていた人生を送るはずでした。


ところが10万人に1人か2人の確率で発症する難病を発症するとは夢にも思っていませんでした。


運命なんてわからないものですね。



近年難病の治療研究は急速に進んでいますが、筋萎縮性側索硬化症(ALS)を治す薬はまだありません。この病気は発症する確率が極めて低いですが、誰にでも発症する可能性があります。


発症すると話せない、食べれない、体が動かせない、呼吸ができないという状態に陥ります。


進行の速さには個人差がありますが、全体の85%を占める孤発性ALSの場合余命が2年~5年位の人が多いです。
ALSは神経難病の中では最も残酷な病気の一つであることは間違いありません。



患者さんの中には過酷な状況にもかかわらず、テレビ、ラジオ、新聞、SNSを通じて逞しく発信されている方々が沢山いらっしゃいます。


私はALSと診断され絶望の淵に立たされた時にSNSでALS患者さん(N様)のブログを読んで励まされ、気持ちを切り替えていくことができました。今もその方にはとても感謝しています。


ありがたいことにALSの進行が遅く今も元気でいられるのは、N様他先輩患者様、医療・介護スタッフの皆様、ALS協会県支部の皆様等多くの方々の支援によるところが大きいと考えています。


多くの方々に支えられ生かされながら、微力ではありますが何かできないか考えています。自分の身の丈に合った活動でいいと思います。


まずはこのブログを通じて、1人でも多くの人にALSという病気を知っていただければ幸いです。



最後まで読んでいただきありがとうございました。


転倒した時の痛みが治まらない

8月の入院中に転倒し、左膝を打撲してから1ヶ月以上になりますが、痛みがまだ残っています。

怪我した翌日膝の屈伸が痛くて全然できなかったのが、今は大分動かせるようになりましたが、痛みが中々消えません。


また、就寝中足を伸ばして寝ると怪我した膝が痛むので、ベッドの脚の方の角度を少し上げてますが、以前よりも症状がやや強くなっているような気がします。


1ヶ月近く行わなかった脚のリハビリや自宅前の歩行訓練を再開したことが原因なのだろうか。




自宅から外へ出るのは久しぶりでしたが、外の空気を吸うと気分が良くなりました。



数ヶ月前から左脚大腿部外側と内側などに筋肉のピクツキがあり、ALSの症状が進行しているような感じがします。


下肢型ALSの初期症状では足をつまずきやすくなると聞いています。また、脚の筋肉は痩せていき硬くなっていきます。


転倒を防いだり、転倒しても軽症で済ますには、身体の柔軟性を保つことがとても重要です。

ALSは拘縮した関節や萎縮した筋肉は元に戻らない病気です。


私は上肢型なので両腕、両肩関節の機能は3年以上前から麻痺してますが、両下肢はありがたいことに違和感があるものの可動域が健常者の時と殆ど変わらないので、リハビリを継続して柔軟性を維持していきたいと考えています。



今はとにかく左膝の痛みが消えて怪我した前の状態に戻したいです。



最後まで読んでいただきありがとうございました。