難病ALSと闘う inayan777のブログ

私は現在ALS(筋萎縮性側索硬化症)という難病と闘っています。この難病は10万人に1人と言われる原因不明の神経性難病です。今から100年以上も昔に発見された病気ですが、現在の医学では治すことができないのです。症状の進行は驚くほど速く、発症して1年3ヵ月後に胃瘻を造設して、その4ヶ月後には両肩関節機能全廃となり、身体障害者手帳3級(現在1級)になりました。介護認定も行っており要介護5になりました。このブログでは発症してから現在までの経緯や日々進行していく身体の変化、日常生活の様子、現在感じていることなどをご紹介していきたいと考えています。私は同じような難病や病気と闘っていらっしゃる方々と共にこの難病と闘い、絶対に乗り越えていこうと思います。また、この難病に少しでも関心をもってくださっている方々からもアクセスしていただければ大歓迎です。日々進行していく病気との闘いとの恐怖の中で、心だけは絶対に負けないように生きていこうと思います。ともにがんばっていきましょう!!

4ヶ月ぶりの定期受診

先日4ヶ月ぶりに定期受診に行ってきました。


2014年1月にここでALSの確定診断を受けました。以来気管切開手術を受けるまでの5年間は毎月、手術後は3、4ヶ月毎に通院してました。
最初の3年間は地下鉄で、その後の3年間はタクシーで通ってました。
その間気管切開手術がありましたが、歩行ができたので病院で車椅子を借りてました。


今は歩行ができなく、唾液吸引を24時間行い、人工呼吸器を装着しているので介護タクシーです。
ベッドに横づけした車椅子へ移乗し、そのまま介護タクシーに乗ります。




今の時期は車窓から見えるイチョウ並木が黄金色に染まりとても綺麗ですが、車椅子に乗るとワゴン車内の天井しか見えなくて本当に残念でした。



受診が終わり、介護タクシーが迎えに来るまでの時間を利用し、病院敷地内を散歩しました。





紅葉が散り始めてましたが、青空に映えとても綺麗でした。



ヘルパーさんに写真撮影してもらいましたが、中々注文どおりに撮れなくて残念でした。
いや、私の注文が細かすぎるのかも、、、。


不自由な体になり、健常者の時に当たり前のことを当たり前にやっていたことが奇跡だったんだと感じます。





最後までお読みいただきありがとうございました。

胃婁交換で予想外のことが起きました

先月胃瘻カテーテルの交換をしました。
2014年に胃瘻造設手術を行い、6ヶ月毎に交換してます。



今回で14回目でしたが、予想外のことが起きました。
準備が完了し、胃瘻カテーテルのフタを開けるとなんと胃から水が溢れてきたのです。
上着から下着まで濡れましたが、胃瘻カテーテルの交換は無事終わりました。



天井を見ているのでどんな状況か見れなかったのですが、ヘルパーさんから胃から溢れた水分は無色透明の水と同じと聞いて驚きました。

前夜7時半に経管栄養を済ませ、10時40分に薬{眠剤他}を入れたのが最後で、当日は水分も含め一切入れずに午後1時に胃瘻カテーテルを交換しました。
前夜に入れた栄養は消化してましたが、10時台に入れた白湯は14時間経過しても胃の中にそのまま残っていたということです。


自力でトイレができなくなってから、排泄が訪問入浴、訪問看護等とぶつからないようにするため、栄養や水分補給時間を自分でコントロールしてきましたが、今回の胃からの水漏れだけは理解できませんでした。






最後までお読みいただきありがとうございました。

2021年の紅葉狩り

昨年より年2回介護タクシーで外出してます。
春の花見と秋の紅葉狩りです。今一番の楽しみです。




今回は市内にある庭園で紅葉狩りです。




3年前に息子が運転する自動車で行った時は、園内を40分程度歩いて余り印象に残らなかったのですが、今回車椅子から2時間ゆっくりと観た景色は紅葉がとても綺麗に見えました。




年に2回咲く10月桜がひっそりと咲いてました。
梅の木や枝垂桜の木もあったので、春も楽しめそうです。




ヘルパーさんが何かをみつけたようです。



嫌なこと、辛いことが多いですが、美しい庭園を散策し気分をリフレッシュできました。



2名のヘルパーさんが盛り上げてくださり楽しい紅葉狩りでした。






最後までお読みいただきありがとうございました。

意思伝達に苦労しています

ご無沙汰しております。ブログまで手が回らない用事が重なってしまい申し訳ありませんでした。

わたしは気管切開手術をしてますので声がでません。手が麻痺しているので書くこともできません。


足も麻痺が進んでますが、足を押したり、かかとを支点にして左右へ動かすことができるので、右足でトラックボールマウスを動かし、左足でセンサーにタッチし,文字読み上げソフトで会話します。




一昨年3月に気管切開手術をし声を失った直後に上記の音声読み上げソフトを始めたわけではありません。

足が上げ下げできたので、文字盤を持ってもらって手の代わりに足を使って文字を指してました。

手術後部屋へ戻り、医師から最初に大丈夫ですかと聞かれた時に、家族が透明文字盤を持ってきましたが、文字の読み取り練習をしてないので足で「はい。《気管から聞こえる》ぜーぜーは治りますか?」と伝えたのを記憶してます。

少しでも会話が楽にできる方法を考えてました。

気管カニューレの中の内筒をスピーチカニューレと交換すると声が出ますが、個人差があるようです。わたしの場合は咽頭に溜まる痰が邪魔をしていたのか、空気の通りがスムーズでなく息苦しさがあり声が出しにくかったです。ベッドの頭の高さを30度位にして20分~40分程度で内筒にもどしました。声を出すのがしんどかったです。


呼吸機能が低下し気管切開手術を勧められていた頃に、医師や言語聴覚士、臨床工学技士の方々からの話では手術前と変わりなく声が出せますとか、声を出す練習はやらなくても大丈夫ですと聴いてました。

私にはスピーチカニューレは合わなかったということです。

私が手術前にイメージしていたのは昼間はスピーチカニューレをつけることでコミュニケーションに困らないことでした。

構音障害で声が出せなくなると聴いていたので、1年位使用できればその間にヘルパーさんに透明文字盤の読み取り技術を高めてもらえればいいと考えてました。

しかし、実際に手術を受けると予想してたのと違っていた点が幾つかありました。

声が出せないと言いたいことが伝えられないのは辛いですね。
必死になって口パクをしても伝わりません。頭がパニックになりそうでした。


幸いにも両足が動いたので、Wordを打ったら、看護師さんは打ち終わるまで待ってくださいました。気持ちがスーッと楽になりました。

音声読み上げソフトもありましたが、すべての文字がひらがななのでその時は余り使ってませんでした。ところが定型文を沢山取り込むと効果がありました。


スタッフである鍼灸の先生が開発されたのですが、定型文の追加や入力し易いようにレイアウトを変え改良を重ね、今では最も頼りになる意思伝達装置になってます。


その意思伝達装置を操作する機器の内のタッチセンサースイッチが今不安定です。


とても繊細なので度々故障します。今回はアームが緩んでしまい、稲穂が頭を垂らしているような状態です。



左足がセンサー先端に上手くタッチできないので、テープを貼って応急処置しています。
実はこれは予備でもう1台は別の原因で故障しました。修理に出してます。

この病気と付き合っていくためには、体調維持、症状進行への対処は勿論ですが、コミュニケーションがとれることが不可欠です。


私にとって意思伝達装置、タッチセンサースイッチ、トラックボールマウス、そして操作する足は命そのものなのです。







最後までお読みいただきありがとうございました。

ささやかな幸せ その2

一昨日は秋分の日でした。
暑さ寒さも彼岸までといわれるように随分涼しくなりました。

午後最高気温が30度近くまでいきましたが、ヘルパーさんから清々しく青空が綺麗ですと聞きました。




車椅子へ移って外の景色を見たかったのですが、介助者が2名揃わなくて叶いませんでした。

わたしは首を支える筋力がないので、頸椎カラーで首をしっかり固定してから体を起こします。




体幹も弱くなっていて足が動かないので、車椅子移乗をするにはどうしても介助者が2名必要です。


ベッドに座って端座位をとるのもリスクを伴うので、スタッフさんが2名なら誰でも介助できるわけでありません。

安全第一なのでリスクを負ってまでして介助できないと言われれば従うしかありません。


側臥位から見える景色です。



しかしながら、安全第一を順守した上で患者の意向に沿えないか模索してくださるスタッフさんがいるのはありがたいです。
一昨日のヘルパーさんは単独で端座位をとってくださいました。


10分近くベッドに座って外の景色が見れました。側臥位から眺めるのとは全然違いますね。


血行が良くなり、脊椎のストレッチ、体幹維持の効果にもなり気分も違います。
良い事ずくめです。


健常者の方には理解できないかもしれませんが、殆ど寝たきり生活のわたしにとってはささやかな楽しみなのです。





最後までお読みいただきありがとうございました。