難病ALSと闘う inayan777のブログ

私は現在ALS(筋萎縮性側索硬化症)という難病と闘っています。この難病は10万人に1人と言われる原因不明の神経性難病です。今から100年以上も昔に発見された病気ですが、現在の医学では治すことができないのです。症状の進行は驚くほど速く、発症して1年3ヵ月後に胃瘻を造設して、その4ヶ月後には両肩関節機能全廃となり、身体障害者手帳3級(現在1級)になりました。介護認定も行っており要介護5になりました。このブログでは発症してから現在までの経緯や日々進行していく身体の変化、日常生活の様子、現在感じていることなどをご紹介していきたいと考えています。私は同じような難病や病気と闘っていらっしゃる方々と共にこの難病と闘い、絶対に乗り越えていこうと思います。また、この難病に少しでも関心をもってくださっている方々からもアクセスしていただければ大歓迎です。日々進行していく病気との闘いとの恐怖の中で、心だけは絶対に負けないように生きていこうと思います。ともにがんばっていきましょう!!

救急搬送されました

5月14日朝微熱があり、お昼頃には38.1度に上がってました。
訪問看護師さんが在宅医に報告したら入院が決まりました。


気持ちの整理がつかないまま数10分後救急車のサイレンが聞こえ近くで止まりました。

もしかしてうち? と思った直後でした。

救急隊員が入って来て病院へ搬送されました。
余りに突然で考える間もなくあっという間の入院でした。




コロナ感染? 不安がよぎりましたが、検査の結果軽度の誤嚥性肺炎とのことで安堵しました。
今は24時間抗生剤を点滴注射して体温も下がり体調も良くなっています。


慌ただしい1日で夕刻にベッドが空き入院病棟へ移りました。看護師さんのお出向えを受けましたが、その中に2年前にお世話になったOさんの顔も見え、Oさんも気づいてくれて「お久しぶり」と声ををかえてくださいました。
嬉しくて元気が出ますね。



この病院はコロナ禍もヘルパーの入室制限がなく、在宅と同じように介護サービスが受けられるのでそれまで抱いてた不安も消えました。

命綱であるパソコンも操作できるので、こうしてブログが書けます。


ありがたいことです。気持ちも楽になりました。







最後までお読みいただきありがとうございました。

ささやかな幸せ その2

今月は歴日数の関係でヘルパーさん2名で外出支援時間が殆どとれません。
ずっと家の中です。


訪問看護師さんが入り、ヘルパーさんと2名の時間は車椅子へ移乗し庭を観るのが楽しみです。


その他の時間は天井かテレビかパソコンを見ていますが、排痰のために側臥位を毎日左右合わせて30分程度とってます。



写真は右側臥位のときにカーテンを開けて見える景色です。




空に目を向け雲が流れていくのを見たり、自発呼吸で肺に溜まった痰を動かしてますが、それだけではつまらないですね。



昨日のヘルパーさんはエステをされたことがある方で手足を揉みほぐしてくれました。それが実に上手いのです。手を上へ伸ばしてもらうと手先から肘にかけての痺れも一時的に緩和されました。

窓を開けると気温22℃は暑くもなく寒くもなくなんとも心地よく居眠りにちょうど良い風でした。


ヘルパーさんが綺麗な飛行機雲が見えますよと言ってくれました。



残念ながら、わたしの位置からは見えませんでした。


すると、ヘルパーさんがわたしの視線に合わせて空を見上げ、ぎりぎりで見えないなあ。もうちょっとなのにと言って残念そうな表情をしてました。

患者の気持ちに寄り添ってくれるヘルパーさんに感謝です。








最後までお読みいただきありがとうございました。

コロナ禍の不安


気管切開してから入浴は週2回訪問入浴です。
業者さんが浴槽を部屋へ運んでくださいます。
湯舟につかうのは20分弱ですが、全身が動かないわたしにはありがたく楽しみです。
ところが、業者さんに陽性者と濃厚接触者が出てしまい2週間入浴してません。



昨日連絡があり普及の目途が立ちましたが、5月10日以降で日程が未定とのことでした。
これだけ長期間入浴しないのは記憶にはありません。


幸いにもヘルパーさんで洗髪くださる方が3名ほどみえるので、週3日位洗髪してもらってます。清拭も多くやってもらってますので、本当にありがたいです。



25年も前になりますが、阪神淡路大震災で被災した友人からしばらくお風呂に入れなく、1ヶ月ぶりに自動車をとばし30キロ離れた温泉でお湯につかった話を聴きました。

東日本大震災で家を失った人々の避難所に自衛隊員が特設風呂を設営されたことは知ってますが、障害者は同じように入れたのだろうか。


新型コロナ感染が広がり、色々考えさせられますね。


重度障害者のわたしが一番恐れているのは24時間介護に入ってくださる訪問介護事業所が休業になったら、立ち行かなくなることです。


ワクチンが普及し、一日も早く終息することを願うばかりです。








最後までお読みいただきありがとうございました。

駆け抜けていった春

我が家の春があっという間に駆け抜けていきました。
今年もカエデ、さつき、スオウなどが花を咲かせ楽しませてくれました。




さつきは例年の10倍以上の数の花が咲きました。こんなに咲いたのは過去にはなかったことです。




スオウの花です。新緑とのコントラストが好きです。





ツバキは昨年12月から咲き続け冬の間も頑張ってくれました。





カエデ(もみじ)の花です。




この白い花は初めて見ました。




この花も雑草です。鳥が花粉を運んできたのでしょうか。




一昨年は3月に気管切開手術をして退院後も体調が不安定で再入院した時は、庭を眺める機会がありませんでした。
あの時は昼間は人工呼吸器を外して自力で歩行もできましたが、息苦しさが続いてました。


今は殆ど寝たままの日々を送ってますが、この1ヶ月は10回程度車椅子移乗ができました。
呼吸が確保されゆったりした気分で、庭の樹木、草花の変化を観ることができました。
小さな庭ですが、自然の息吹を感じられたのが嬉しいです。




生きていることの喜びをかみしめ、希望を持って生きようと思います。







最後までお読みいただきありがとうございました。

我が家のもみじ

この時期のもみじは紅葉から新緑へ変化していく中で、葉っぱの下に垂れ下がった線香花火状の花が咲きます。



花が散った後は紅色のタケコプターのような羽根の実が成り葉っぱへと成長していきます。
陽の当たらない下の方はすぐ緑色に変わります。





1ヶ月前は枯れ木だったのが嘘のようです。





わずか数日間で新芽が出てから紅色の葉っぱが次々と増えていく姿は圧巻です。



新芽が出て葉っぱが開いてない時に撮りましたが、1日経つと随分変わっていきます。





葉っぱが開いた直後です。





毎日葉っぱは増え続けます。





数日間でこんなに増えました。




どこにそんなエネルギーがあるのでしょうか。



不思議です。
生命力の強さに感動します。





このもみじの木は祖父母が戦時中に引っ越してきた頃からあったらしいので、80歳を超えてます。

私が生まれる前からこの家を見守ってきた老木ですが、今年も新芽を出し無数の葉を増やしていく姿を見せてくれています。



これから新緑へと変わり、秋に再び紅葉します。
1年に春秋の2度紅葉が観られるのが楽しみです。



庭が観られるのはヘルパーさん、訪問看護師さん2名が揃う日の30分程度ですが、この1カ月間で10数回観て楽しみました。



健常者の時には庭をゆっくり眺めることがありませんでしたが、病気になり身体が自由に動かなくなってからは、時々庭を眺め四季の移ろいを感じられるのが楽しみになりました。




ヘルパーさんが夜撮影してくれました。



難病を患ってから、気づいたことが多いですね。
話すこと、食べること、身体を動かすこと。
1人で当たり前にできたことができなくなっっても、庭があって樹木や草花を眺められることはなんと贅沢かと思います。
心を癒され、元気をもらって幸せです。









最後までお読みいただきありがとうございました。