難病ALSと闘う inayan777のブログ

私は現在ALS(筋萎縮性側索硬化症)という難病と闘っています。この難病は10万人に1人と言われる原因不明の神経性難病です。今から100年以上も昔に発見された病気ですが、現在の医学では治すことができないのです。症状の進行は驚くほど速く、発症して1年3ヵ月後に胃瘻を造設して、その4ヶ月後には両肩関節機能全廃となり、身体障害者手帳3級(現在1級)になりました。介護認定も行っており要介護5になりました。このブログでは発症してから現在までの経緯や日々進行していく身体の変化、日常生活の様子、現在感じていることなどをご紹介していきたいと考えています。私は同じような難病や病気と闘っていらっしゃる方々と共にこの難病と闘い、絶対に乗り越えていこうと思います。また、この難病に少しでも関心をもってくださっている方々からもアクセスしていただければ大歓迎です。日々進行していく病気との闘いとの恐怖の中で、心だけは絶対に負けないように生きていこうと思います。ともにがんばっていきましょう!!

総合防災訓練会場へ行きました

9月3日に久しぶりに遠出しました。気管切開してからの4年6ヶ月間で最も遠いです。
自宅から約30キロある安城市までJRに乗って行きました。電車の乗り降りは駅員さんが親切に誘導してくださり実に気持ちが良かったです。久しぶりに車窓からの景色を楽しみました。

目的地は愛知県主催の総合防災訓練会場です。防災関係機関の連携と防災意識社会の確立をテーマに医師会、看護協会、消防本部、警察本部、陸上自衛隊、中部電力、NTTドコモ他県内の公共機関、企業、法人など100団体が参加の大規模な訓練でした。
ALS協会愛知県支部も初めてエントリーし、訓練会場(屋外グラウンド)で倒壊家屋から障害者の救急搬送訓練が行われました。
また、啓発会場(体育館)では各団体がブースに分かれ、パネル等を展示し見学者の対応をしました。


ALS協会のブースにはアンビュー訓練用の人形や人工呼吸器も置かれて、協会委員の方、先輩患者の奥様、人工呼吸器メーカーの方が説明される準備が整ってましたが、人がまばらで暇でした。


3時間で撤収されその間ブースから離れなかったので、訓練会場の様子がみれなかったのが残念でした。


しかしながら、県知事が視察で啓発会場各ブースを回って来られた際、透明文字盤で挨拶したのでALSへのご理解を深めていただけたのなら幸いです。



往復7時間の外出は気管切開後では最長です。もっと遠くへ行きたいですが、ヘルパー2名の確保、バッテリーの耐久時間、トイレなどの問題をクリアーしなければなりません。多くのALS患者共通の問題だと思います。







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車いす生活になって初めての映画鑑賞です

先日映画ノー・リミット ユアライフを観に行ってきました。


ヘルパーさんが2名揃わないので諦めてましたが、看護師さんが私も観たいので同行しますと言ってくださり観ることができました。


ALS患者の武藤さんが奥様に支えられながら多くの困難を乗り越え、新たな挑戦を続けて行かれる姿は感動的です。
素晴らしい映画ですので多くの人に観ていただきたいです。東京、大阪、名古屋以外の地域でも上映されるといいですね。


映画の後の舞台挨拶も素敵でした。
アナウンサーの平野さんからの質問に対してご自身の合成音声でお答えになるのがとても早いのには驚きました。


劇場を最後に退場して通路へ出ると武藤さんご夫妻、毛利監督、平野さんと観客の記念撮影が行われてました。お声をかけてくださったのでチャッカリ中に入らせていただきました。


武藤さんの横にいるとオーラを感じました。


嬉しいサプライズもあり、夢のような楽しい時間でした。
この映画を観に行きたくても行けない同じ病気の方がいらっしゃることを思うと申し訳ない気持ちです。
わたしは本当にラッキーでした。訪問看護師さんが声をかけてくださらなかったら実現していなっかたので感謝しています。







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ブログを初めて8年目になります

ブログを始めて8年目になります。
当初は腕が上がらなくなっていたものの健常者と同じように椅子に座って手でパソコンが打てました。

現在のようにベッド上で左右の足を使ってパソコン操作するようになったのは3年前からです。
当時は両足でヒップアップや寝返りができました。片足が支えなくても45度、70㎝位までは上がっていたと思います。
ところが、歩行、立位の禁止等で廃用性症候群が進み1年位で殆ど上がらなくなりました。今は1ミリも上がりません😢


ALS(筋萎縮性側索硬化症)だともう元には戻りません。そのためトラックボールマウスの操作は膝の下にタオルをかませ、てこの原理を応用して足を上げパソコン画面上の文字盤やスクリーンキーボードを操作します。


脚の筋力低下が進むので、マウスを上下左右へ運ぶ可動域も次第に狭くなっていきます。
最近はトラックボールマウスと足のポジショニングの複雑化でパソコンが全く操作できない日もあります。


左脚は脛や外くるぶし、右脚は脛の他に大腿部の疲労がかなり強いですが、今までは一晩寝て訪問リハビリのマッサージで凌いできました。
ところが、足が悲鳴を上げ毎日ほぼ24時間痺れを感じるようになりました。

手の方は以前から指先から前腕にかけて痺れがありました。今は常に手足どちらか強い症状の方が目立ち、日によって違います。手の痺れが目立つ時は足の方は痺れがあっても症状が弱く感じます。


足によるパソコン操作が1日でも長く続けられるようにするために足を1日休ませる日も作ってます。また、疲労した足のケアを毎日欠かさないようにしています。


写真は理学療法士の先生がヘルパーにもできるボディケアを考え、作成してくださったマニュアルの一部です。


勤務時間外でないと作れないと思います。😢がでますね。
わたしは素晴らしいスタッフさんに恵まれて幸せです。







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気管に肉芽(ポリープ)ができました

最近気管カニューレのサクションチューブ(サイドチューブ)から痰が引けなかったり、看護師さんが内筒を交換する時に普通に外せるのにはまらないことが度々ありました。
内筒がはまらないと人工呼吸器を接続できないので、自発呼吸ができない人だと極めて危険な状態に陥ります。


3年前コロナ禍でカニューレ不足があってから、自宅に予備カニューレを3個くらい置いてました。妻が在宅医から非常時に交換できるようにレクチャーを受けていたので、カニューレにアクシデントがあるとそのたびに妻が交換してました。

先日も同じようなことが連日で起きたので、その場で看護師さんに気管から取り出したカニューレをみても
らったところ、気管内に肉芽(にくげ)ができていているのがわかりました。


看護師さんからの報告を受けて、往診医から肉芽切除手術が必要なので病院を手配しますとの連絡が入りました。


気管カニューレの原因がわかったことで気持ちがスッキリしましたが入院は嫌でした。
ところが、先日紹介先病院の耳鼻科外来で診察を受けたら、肉芽が手術するまでの大きさになっていないとのことで入院しなくてすみました。
肉芽の発生はカニューレ側面にある穴が原因でした。


穴に肉芽が入りこんで大きくなり、内筒交換やサイドチューブからの吸引の邪魔をしていたのです。
カニューレは側面に穴のない一般のカニューレに取り替えられたので、肉芽は小さくなっていきます。

大事に至らなくて良かったです。


気管切開、人工呼吸器、ベッド上での生活になってから未知の体験が多いので辛いですが、体験談を情報提供しお役に立てるのなら一つ一つが貴重な体験だと思います。







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紫陽花の散歩道

今年こそは紫陽花の散歩道へ行こうと思ってましたが、叶いませんでした。
見頃は6月でしたが、ヘルパーが2名揃う日が1日もありませんでした。今月は大学病院の定期受診でヘルパーが2名揃いましたが、時すでに遅しでした。



紫陽花の散歩道は大学病院の向かい側の鶴舞公園内にあります。ここの紫陽花はまだ一度も観たことがありせん。

健常者だった頃なら自動車を運転し30分で叶えられることが、4年経っても実現できないのです。重度障害者になり不自由さが想像していた以上に増大しているのを実感しています。
悔しいですが、現実を受け入れるしかありません。


しかしながら、ネガティブなことばかりではありません。3月には同じ鶴舞公園で満開の桜を、5月にはバラを観賞ができて良かったです。


紫陽花の散歩道は来年以降の楽しみに取っておこうと気持ちを切り替えることにしました。

先月は妻がたまたま大学病院へ行く用事があり、紫陽花の散歩道の写真を撮ってきてくれました。



来年こそは。








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