人生で最も苦しかった1週間
2年前の今日は気管切開をした日です。
1年前に医師から「呼吸機能が徐々に低下しているので気管切開を視野に入れてください。まだ余裕がありますが、半年後に呼吸不全が来るかもしれません。手術は身体に負担がかかるので早目にしたほうが安全です」と説明がありました。
頭では理解していても、手術が恐ろしく、声を失えばコミュニケーションがとれないことを想像すると決断できませんでした。
毎月の大学病院の検診では呼吸不全がいつ起きてもおかしくないと言われてましたが、引き延ばし8ヶ月が経ち新年(2019年)を迎えました。
今年は気管切開するのかなと不安を抱えながら正月を過ごしました。
肺活量も健康時の半分以下に落ちてましたが、普通の状態であれば息苦しさがなく、声は活舌が悪くなってはいましたが、5分以上話すこともできました。
たまに息切れを感じると鼻マスク(NTTV)を着けて1~2時間昼寝してました。
鼻マスクは夜寝る時だけでした。
2月初旬に呼吸機能検査も兼ねて6日間レスパイト入院しました。
主治医から入院初日に気管切開手術を早期に行ったほうがいいと勧められていました。
ところが、退院時には夜間睡眠時の呼吸状態が予想に反して良かったので、人工呼吸器を着けるのを引き延ばしてもう少しがんばってみますかと言われたのです。
思いがけない励ましの言葉をかけていただき嬉しかったです。
退院後は現状維持が長く続きますようにとを祈りながら毎日を過ごしていました。
事態が急変したのは約1ヶ月後の3月2日夜でした。ヘルパーさんと会話中に声が出しにくくなり、痰吸引を頼んだ直後に息苦しさを感じました。
頭の下に枕を敷いてしばらく口と鼻の両方から吸引を続けました。
サチュレーションの酸素濃度が83まで下がってました。
腹式呼吸で大きく吸い込もうとしても、息苦しさが続き意識が遠のいていくようでした。
「NPPVを持ってきて」「加湿して」と言った後声が出せなくなりました。
妻が鼻からの吸引、嫁ぎ先から帰っていた娘が口からの吸引、ヘルパーさんが口腔内を水で濡らし、途中で駆け付けた訪問看護師さんが呼吸介助と役割分担して必死の看護をしてくれた結果、サチュレーション酸素濃度が96に戻り何とか危機を脱しました。
あの息苦しさは二度と体験したくないと思いました。
気管切開を拒み続けてきた気持ちが、1日も早く手術しなければという気持ちに変わりました。
翌々日に大学病院に入院しました。
気道が痰で塞がり空気が肺へ送られないと呼吸不全を起こします。手術までの1週間がとても長く感じ不安でたまりませんでした。
痰が溜まりやすくカテーテルチューブを口から入れると喉の奥まで入らないので、鼻から通して痰吸引してました。
鼻の入口から25㎝位の深さまで通さないと取れないこともありました。
夜中にナースコールし吸引してもらうのですが、看護師さんにはカテーテルを喉の奥まで通したことがない方もみえました。
カテーテルの先端が食道へ入ってしまい、気管に中々届かないこともありました。
また気道閉塞が起きないか不安で毎晩眠れませんでした。
早く楽になりたいが、手術で呼吸を確保できるのと引き換えに声を失ってしまう。
苦しみに苛まれながら1週間を過ごし手術の日を迎えました。
写真は手術前日に医師に切開する位置を確認してもらい、喉にマーキングした直後に撮ったものです。
誤嚥性肺炎防止のためには喉頭気管分離手術も同時に行う患者さんもいますが、スピーチカニューレを使って声が出せる可能性を残したかったので、気管切開手術だけにしました。
手術は部分麻酔で40分程度でした。
手術直後は声を失った悲しみよりも、無事終わり呼吸が確保された安心感のほうが大きかったです。
その日の夜、人工呼吸器(TPPV)を初体験しましたが、気管切開部からの呼吸は想像していたよりも楽でした。
入院から手術までの1週間は人生で最も辛かったです。
人工呼吸器を着けて呼吸不全の不安から解放された喜びが大きかったです。
その時は1年後、2年後の生活がどう変わっていくのか考える余裕がありませんでした。
ALS闘病生活の第1幕が終わり、第2幕の始まりでした。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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