難病ALSと闘う inayan777のブログ

私は現在ALS(筋萎縮性側索硬化症)という難病と闘っています。この難病は10万人に1人と言われる原因不明の神経性難病です。今から100年以上も昔に発見された病気ですが、現在の医学では治すことができないのです。症状の進行は驚くほど速く、発症して1年3ヵ月後に胃瘻を造設して、その4ヶ月後には両肩関節機能全廃となり、身体障害者手帳3級(現在1級)になりました。介護認定も行っており要介護5になりました。このブログでは発症してから現在までの経緯や日々進行していく身体の変化、日常生活の様子、現在感じていることなどをご紹介していきたいと考えています。私は同じような難病や病気と闘っていらっしゃる方々と共にこの難病と闘い、絶対に乗り越えていこうと思います。また、この難病に少しでも関心をもってくださっている方々からもアクセスしていただければ大歓迎です。日々進行していく病気との闘いとの恐怖の中で、心だけは絶対に負けないように生きていこうと思います。ともにがんばっていきましょう!!

あけましておめでとうございます

あけましておめでとうございます。



ALS(筋萎縮性側索硬化症)を発症して9年目に入ります。
正月3ヶ日は普段と変わりませんでした。ヘルパーさんも訪問看護師さんも普段どおりに入ってくださいました。


今までを振り返ると発症から5年8ヶ月は症状の進行が緩やかでしたので、3年前までの大みそかと正月はヘルパーさんには休んでいただいてました。
3年前の1月2日は息子の付添で市の中心部にある公園まで出かけてました。足は健常者と変わらなかったので、将来人工呼吸器を装着しても下肢の機能は現状維持でいけると自信をもってました。
その2ヶ月後には気管切開手術をしましたが、退院後も1階と2階の階段の昇り降りができ、自宅の周りの300m程度はヘルパー1名付添で休みながら歩行できました。300m以上の歩行は人工呼吸器を着けてなかったので、息苦しさに襲われるのが恐くて回避しました。



今は立位から一歩も足を前に出せません。
こんなに急速に下肢の筋力が衰えてしまうとは想定外でした。原因については、①気管切開8ヶ月後の入院期間が長かったこと、②翌年トイレ使用も歩行も禁止となり廃用性が進んだことに加えて、ラジカット治療を止めたことも障害進行の一因と考えられます。進行を早めた原因については改めて記載したいと思います。


介助者が2名揃わないと離床できないのは辛いですが、昨年は救急搬送されたことを除けば健康状態が安定してました。ヘルパーさんには24時間入っていただき安全に過ごすことができました。
また、コロナ禍で普及したズームを初体験できました。ベッド上でパソコン画面から会合に参加するというもので、ネット環境が整えばどなたでも体験できます。



ズームがビジネスの世界だけでなく療養生活者の間にも広がっているのは大きな意義があると思いました。
わたしは市内の病院主催の「難病カフェ」と「自分をプレゼン実行委員会」主催の行事で、初めて発表(ヘルパー代読)する機会をいただきとても幸せに感じました。手が動けば数日間でできる資料が1ヶ月近くかかりました。
二つの発表は知人からの勧めでした。筆不精なのでお断りしようかと思いましたが、足入力で想いを伝えられるのがいつまでかと考えると自分の生きざまを語れるのは今しかないと思いました。
また、体験談がALSを発症し生活環境が整備されてない方々、人工呼吸器の選択で悩んでいらっしゃる方々の少しでも参考にしていただきたい思いもありました。二つの発表はヘルパーさんのサポートのおかげで無事終えることができました。一人では何もできない不自由な体ですが、多くのスタッフさんに支えられていることに感謝しています。
2022年はどんな1年になるのでしょうか。平穏に送りたいですが、甘くはない療養生活を重々承知してます。スタッフさんへの感謝に応えるためにも、新しいことにチャレンジし元気に過ごしたいと思います。
皆様におかれましてはコロナ第6波の感染が拡がってますのでご注意ください。
今年もどうぞよろしくお願いいたします。






最後までお読みいただきありがとうございました。