9年前の悪夢
9年前のこの時期に遡ります。かかりつけ医に紹介してもらった総合病院で検査の結果、名古屋大学病院を紹介されました。
年内で決着をつけ穏やかなお正月を迎えたい気持ちでしたが、診察は短時間で終わりました。年明けに2週間ほど検査入院していただきますと告げられ、精神的ショックは大きかったです。
仕事のことも気になってました。とにかく忙しく数年間まる1日を休んだことがありませんでした。
その年は仕事が益々多忙を極めました。
名古屋大学病院で診察を受ける1ヶ月前のことです。右手を治すための整形外科通院も月2回程度でしたが、大腸がん検診だけは受けておこうと会社の帰りにかかりつけ医院に立ち寄りました。
先生と言葉を交わしたときでした。「鼻の下の溝が少し歪んでますね。顔面麻痺かな。病院への紹介状を書くので精密検査を受けてください。」と突然言われびっくりしました。鏡で見ると鼻の下の溝がわずかに左へ寄ってました。
先生はわたしの不安を取り除こうと「検査は念のためにやるだけなので、大丈夫です。」と言われたので、病院へ行くまでの数日間は先生の言葉を信じて余り気にせず仕事に集中できました。
先生はわたしの身体の異変についてどこまで知ってみえたのだろうか。まさかALSを発症してることまではご存知でなかったのではと思います。10万人に1名〜2名の確率で発症する難病ですから。
何も知らないわたしはその頃右手が上がりにくく首や舌にも違和感がありましたが、どんな病気であろうが日本の医学なら治せると信じてました。
毎年年末はお墓参りに行き、清々しい気持ちで新年を迎えるのが常でした。
しかし、この年はとても重苦しい気分でした。年明けの検査入院で病名が明らかになるのがとても不安でしたが早く知りたかったです。この時すでに発症から6ヶ月が経過していました。
年明けに入院し、予定通り2週間の検査で病名が確定しました。筋萎縮性側索硬化症(ALS)と告げられてもピンときませんでしたが、全身が麻痺し身体が動かなくなり余命が3年~5年と聴いて涙が止まりませんでした。
前年に孫が生まれ、定年まであと少し頑張れば楽しい人生が待っているはずでした。それが一瞬にして吹っ飛び絶望の淵に立たされ家族も地獄でした。
ALSは難病の中でも最も残酷な病気の部類に入るといわれてます。数年以内に襲ってくる呼吸不全に対して、人工呼吸器を着けて生きるのを選択する患者がわずか30%という数字がすべてを物語ってます。
ALS治療研究推進のためにはこの病気を多くの人々に知っていただきたいと思います。
そして闘病生活10年目に入っても気持ちだけはALSに屈っすることなく前向きに生きる姿勢を伝えていけたらと考えています。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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