ALS確定診断から11年経ちました
ご挨拶が遅れ申し訳ありません。今年もよろしくお願いします。
11年前の昨日1月29日はALS(筋萎縮性側索硬化症)と診断された日です。
半月に及んだ検査が終わり、医師から以下の説明がありました。
平均で2年から4年で寝たきり状態になり、呼吸不全がやってくるので事前に人工呼吸器を着けるか意思決定が必要なことや嚥下障害が進むと食べられなくなるので胃瘻を造設する必要があるとの説明でした。
人工呼吸器を着けてがんばりましょうと励ましの言葉もなかったので、この病気を乗り越えることの困難さを感じました。その夜は病室で泣き崩れ眠れませんでした。
翌日退院すると数日間ひたすらネット検索をしていました。西洋医学で治らないのなら、東洋医学や温泉療法で治す方法はないかと考え、鍼治療のために東京へも行きました。
身体は正常に動いて、声に異常がなく、食事もできるので、ALSを受け入れる気持ちにはなれませんでした。負けてたまるかという気持ちで情報収集に奔走しました。
今振り返ると負けてたまるかという気持ちを持って病気と闘ってきたことがとても大事でした。
この気持ちになれたのは先輩患者さんの一言でした。ALSの事ばかり考えていると症状の進行が速いらしいよ。
私はゆっくり進行するのを祈って診断告知から約2年間旅行を楽しみました。手から症状が始まる上肢型ALSだったので足には症状が無く外を歩き回っていました。おかげさまで発症から呼吸不全に陥り気管切開するまでが比較的長く5年8カ月でした。
この2年後に当時の訪問看護ステーションの指示により、突然ベッドからの離床を禁止され寝たきり生活になってしまいました。
頚椎が弱いからが理由でしたが、離床禁止命令が出る前日はヘルパーさんの介助で近所の神社境内を車椅子から降りて70mくらい歩行訓練していました。今思い出すと悔しくてたまりません。
現在の訪問看護ステーションならこんな残酷なことはされません。当時の看護ステーションは安全さえ保てれば、患者の尊厳やQOLはどうでもいいと考えていたように私の目には映りました。
ベッドサイドでの立位も端座位も全てダメとなるとあっという間に太腿がえぐり取られるように細くなっていました。寝たままでヒップアップが30㎝以上できたのが数カ月で1㎝上げるのが大変でした。
私はALSに負けたのではない。看護師の誤った指示で廃用性症候群になったのが原因です。
現在は訪問看護ステーションもケアマネジャーも変わり、禁止されていた端座位や立位が復活しました。しかし、足は鉛のように重く床にくっついて一歩も踏み出せませんでした。
2年前に寝たきりが原因で難聴になり、また、手足の強烈な痺れで夜中熟睡できるのが精々3、4時間程度です。そして、ALSの進行は止まりません。
しかし、アイネバー・ギブアップです。9年前ブログを始めたときに、気持ちだけは絶対負けない。病気を乗り越えると宣言しました。
座右の銘は「明るく楽しく、不屈の精神で病気と闘う」です。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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