難病ALSと闘う inayan777のブログ

私は現在ALS(筋萎縮性側索硬化症)という難病と闘っています。この難病は10万人に1人と言われる原因不明の神経性難病です。今から100年以上も昔に発見された病気ですが、現在の医学では治すことができないのです。症状の進行は驚くほど速く、発症して1年3ヵ月後に胃瘻を造設して、その4ヶ月後には両肩関節機能全廃となり、身体障害者手帳3級(現在1級)になりました。介護認定も行っており要介護5になりました。このブログでは発症してから現在までの経緯や日々進行していく身体の変化、日常生活の様子、現在感じていることなどをご紹介していきたいと考えています。私は同じような難病や病気と闘っていらっしゃる方々と共にこの難病と闘い、絶対に乗り越えていこうと思います。また、この難病に少しでも関心をもってくださっている方々からもアクセスしていただければ大歓迎です。日々進行していく病気との闘いとの恐怖の中で、心だけは絶対に負けないように生きていこうと思います。ともにがんばっていきましょう!!

3年前の生活

ALSを発症して4年が経ちました。4年前は右手の違和感が始まっていましたが、五十肩位にしか考えてなく、毎日仕事に追われていました。8月に夏期休暇が5日ありましたが、2日は会社へ行き余りゆっくりできなかったように記憶しています。
翌年1月に検査入院でALSの告知を受けて、2月末で退職しました。ケアマネージャーと相談して、4月頃から通院の他にリハビリ、ヘルパー介助をはじめましたが、今のように頻回に行なってなくて1週間のスケジュールは余裕があり、体の症状も軽度で食事も普通にできました。

医師からは今のうちに旅行に行って、美味しい物を沢山食べてくださいと言われた時に、旅行に出かけられる期間も長くはないだろうと思い、将来予定していた旅行計画を前倒しして、告知を受けた年は3月から12月までの10カ月間で10回以上旅行しました。家族で、妻と二人で、一人でドライブなど旅行の形は様々でしたが、旅の楽しさをかみしめ、病気であることを忘れて気分転換が図れました。

旅行が集中した10カ月間の期間中には胃ろう造設手術をしてましたが、術後の身体の負担がなく食事は口からの摂取が100%でまだ胃ろうからの経管栄養の必要がなかったので、手術の一週間後には一人で信州八ヶ岳方面へ紅葉を見たくて一泊二日のドライブに出かけました。このときは既に両手が上がらなかったのですが、自動車運転のときは何とかハンドルを握ってしまえば握力が普通の女性位のレベルはあったので支障なく運転できました。ところが予想外のことが起きたのです。宿泊ホテルの朝食がバイキングだったのですが、両手を前へ伸ばすことができなくなっていたので、テーブルに並べてある料理を取ることができません。ジュースの入ったグラスも取れなくてどうしようか困っていたところを他の宿泊者の方が気づいてくれて取ってくれました。
人の温かさを感じるとともに助けてもらうことは恥ずかしいことではないと思い、食後のコーヒーはホテルの係員さんに頼んで持ってきてもらえました..。錦秋の北八ヶ岳の紅葉、中央高速道路の快適なドライブを満喫できたので、次回のドライブを計画してましたが、次第に肩の痛みが悪化してハンドルが切りにくくなり、その後高速道路を運転することはなく、4か月後には運転を断念しました。
あれから2年10ヶ月の歳月が流れ、障害は上肢を中心に進行し、嚥下機能の低下により食事は全て胃ろうから入れています。食べる楽しみはもうありません。一人で外出することも難しくなりました。

発症してからの経過を振り返ってみましたが、告知を受けてからの早期の段階でまとめて旅行をして美味しい物を食べられたことに満足しています。旅行できる、食べられる楽しさをかみしめられたとても充実した期間でした。