難病ALSと闘う inayan777のブログ

私は現在ALS(筋萎縮性側索硬化症)という難病と闘っています。この難病は10万人に1人と言われる原因不明の神経性難病です。今から100年以上も昔に発見された病気ですが、現在の医学では治すことができないのです。症状の進行は驚くほど速く、発症して1年3ヵ月後に胃瘻を造設して、その4ヶ月後には両肩関節機能全廃となり、身体障害者手帳3級(現在1級)になりました。介護認定も行っており要介護5になりました。このブログでは発症してから現在までの経緯や日々進行していく身体の変化、日常生活の様子、現在感じていることなどをご紹介していきたいと考えています。私は同じような難病や病気と闘っていらっしゃる方々と共にこの難病と闘い、絶対に乗り越えていこうと思います。また、この難病に少しでも関心をもってくださっている方々からもアクセスしていただければ大歓迎です。日々進行していく病気との闘いとの恐怖の中で、心だけは絶対に負けないように生きていこうと思います。ともにがんばっていきましょう!!

眠れない夜

発症5年目頃から手が浮腫んで腫れぼったく眠れないことがありましたが、手首を背屈し血行をよくすることで解消できました。


腕、手のひら、肩、背中、口輪筋(唇まわり)は腫れぼったさや痺れが、大腿部、脛、足首など下肢は強い疲労感に襲われますが、就寝前に眠剤と精神安定剤を服用すると眠れます。

翌朝は前夜の症状が一端引きますが、昼頃から徐々に症状が出始め、夜になると前腕がパンパンに腫れあがり、手指や手のひらの痺れがピークに達します。


寝たままで血行が悪くなっているのが原因なので、リハビリで手足を揉みほぐしたり、他動運動してもらうと緩和されます。




しかし、症状は上記のような対処療法で一時的に緩和されますが、この数年間で症状の範囲は身体全体に広がりました。

同じAIS患者でも症状による痛みが軽い患者さん、逆に辛くてモルヒネを使っている患者さんとまちまちです。



わたしは今のところは鍼灸治療とリハビリの他にヘルパーさんにも手足をさすってもらってます。



また、ベッドの頭の高さを30度までずっと上げていると重力が影響し、手の腫れぼったさが強くなるので、定期的に20度以下に下げると症状が少し和らぎます。

ところが、一昨日の夜は就寝直後から手足の腫れぼったさが強く、手のひらや手首がピリピリして眠剤が全く効
きませんでした。


夜中に手をおく向きを変えたりしても、緩和されず目を閉じただけで朝を迎えました。

こういう日が続くと辛いですね。


眠剤を強力なものに変えるとか対策がありますが、手脚の血流をよくするためにまだ工夫する余地があると考えてます。



人工呼吸器を着けて安全な呼吸が確保され、手術後10ヶ月位は昼間は呼吸器を外し落ち着いた生活を送れました。





今は排痰がスムーズにできるための側臥位の実施、24時間唾液吸引、摘便のための栄養調整、身体のこまめなメンテナンスが必須です。


その他に、足で文字入力ができなくなった後の生活を想定して意思伝達訓練と忙しい毎日を送っています。




この病気と上手く付き合っていくためには療養環境を整えることが最優先です。


情報収集が大切です。SNSからは同じ病気と闘っている患者さんから学ぶことが多いです。


わたしよりも厳しい状況の中で逞しく生きている患者さんの投稿を読むと勇気が湧いてきます。

応援してくれる友人、スタッフさんがいます。


絶対に乗り越えたい。


ALSとの闘いは続きます。









最後までお読みいただきありがとうございました。

通院していた頃の想い出

5年前のこの頃は進行抑制薬(ラジカット)を点滴治療してました。




1クールが10日間となっていて、毎月10回通院してました。





1.5キロの道のりを行きはバスに乗り帰り道は徒歩でした。


握力がまだ15位あり、一方の手をもう一方の手でつかみ両手の力が加わると少しだけ上がりました。


転倒したら自力で立ち上がるのが難しくなってましたが、足には症状が全くなかったので転倒する気がしませんでした。





胃瘻を造設してましたが、まだ口から食べることもできました。
箸が持てなくてスプーンで食べてました。ラーメンは器が重くて持てませんでした。


嚥下障害も進んでいたので、カレーライスが食べやすかったです。
短い期間でしたが、不自由な手を使って病院の帰り道で外食を楽しんでました。




身体が元に戻らなくてもいいので、このまま現状維持できるようにと祈りながら点滴を受けてました。



病院内には7段もある立派な雛壇が飾られ、点滴が終わったあとで観るのが楽しみでした。




こんなときもあったんだなあ。
懐かしいです。








最後までお読みいただきありがとうございました。

ALS確定診断を受けたときのことです

7年前のこの頃はALSの確定診断を受けて1週間が経ってました。




これからどうやって生きていけばいいのか路頭に迷っていました。

家族に説得され会社へ退職届を提出しましたが、好きな時間に出社してきていいのでと慰留されました。


検査入院前日までは毎朝7時15分に出社し、毎晩22時~23時まで勤務していた気力が消え失せてました。
朝6時に目が覚めても身体が起き上がらなく、8時頃にゆっくり起きて10時半頃出社し身体に負担がかからないようにしました。


ところが、仕事に集中し出すと病気のことを忘れ、いつもの感覚を取り戻していました。



腕が上がりにくく肩関節に違和感があり、味覚障害も起きてましたが、仕事が普通にできたのでALSと診断されても受け入れることができませんでした。





自分は本当に2、3年で寝たきりになってしまうのだろうか? 

今の症状が治らなくてもいい。現状維持できないものか?




自宅にいる時は東洋医学や温泉治療で治せないか考え、ネット検索ばかりしてました。

AIS患者も診ている鍼治療院を見つけて東京へも行きました。





また、ラジウム温泉へも行きました。
その温泉は岐阜県の山奥でしたが、常連客が多く癌を患っている人もいました。
免疫力を高める効果があるので大阪から来てますと聞いて驚きました。





辛い思いをして仕事をがんばってきたのに、こんなことで定年後の楽しみを奪われてたまるかという悔しさでいっぱいでした。

希望を持とうと思いました。








最後までお読みいただきありがとうございました。

端座位について

歩行を止めてから1年近く経ち足指、足首、膝、大腿部など下肢全般の筋力低下が目立ちます。

以前は寝た状態でも足がテーブルの上まで軽々と持ち上がっていたのが、今は左足が数センチ、右足は全く上がらなくなり落胆が大きいです。



しかし、悲しんでいるだけでは、心までALSに支配され病気の進行が早まるばかりです。



そこで、ベッド上で端座位をとることだけは継続してきました。




介助者が2名必要なので実施できる日が少ないです。
その時間をとても大切にしています。



そして、今も支えてもらえれば短い時間でもバランスをとって座れてます。

最も気をつけているのは頭が前へ垂れてしまうことですが、頸椎カラーでしっかり固定し顎を支えることで首が安定しました。



10ヶ月前と比べると体幹が少し弱ってはいますが、このエクササイズをしてなかったら、間違いなく端座位がとれない身体になっていたと思います。




わたしが端座位に拘っているのは、ALS患者で医師でもある大田先生のブログが影響してます。


血流が良くなり、肺機能改善、体幹維持など効果が大きく、排痰がしやすくなったのを実感しました。

ALS患者によって痰の量に差がありますが、わたしの場合は痰が多く、硬くて取り切れないことがよくあるので要注意です。


仰臥位で寝ていると痰が肺の背中側に溜まりやすくなります。


痰が蓄積し気管が詰まれば呼吸不全を起こし死に至ります。

気道が閉塞した時の息苦しさを数回経験してますが、バルスオキシメーターを指につける時には血中酸素飽和濃度が80%以下に下がっていることがあります。



バルスオキシメーターはコロナ関連のニュースで有名になりました。血中酸素飽和濃度(SPO₂)や脈拍数を計測する医療機器です。




わたしは発症4年目で呼吸機能が低下し始めた頃に購入しました。

正常な状態の人は96%以上で、90%~95%が低酸素状態、90%未満は呼吸不全と聞きました。





痰吸引がスムーズにできるために以下のことに気を付けています。

① 加湿器を焚いて部屋の湿度を50%台に保つ
② 水分補給をする
③ 毎日側臥位をとり肺の中の痰を動かす


以上に加えて端座位をとるのも有効でした。



端座位をとるのは気持ちの面でも効果が大きいです。



情報収集してできることは実践する。ALSと闘っていくためには大事なことだと思います。








最後までお読みいただきありがとうございました。

ALS確定診断から7年が経ちました

あの日から7年が経ちました。
2014年1月16日に検査入院しました。




前年6月右腕に感じた違和感が首や肩にまで広がってました。
もしかしたら大変な病気なのかもしれない。


しかし、秋に半日人間ドッグを受けた時は異常がなかったし、医療の先端を行く大学病院に入院したのでなんとかなるだろうとその程度しか考えてませんでした。


治療すれば治ると思っていました。


入院中は院内のコンビニへ行ったり、携帯電話で会社とのやりとりもして暇をつぶし、病人としての自覚がなく、仕事が気になってました。


50歳代後半でしたが、足腰が丈夫で体力には自信がありました。
AL
Sという難病の存在も知りませんでした。



年を重ね仕事が増えていくのがきつかったですが、定年後の夢を楽しみに踏ん張ってました。


体を鍛えなおして山に登りたい。




尾瀬ヶ原の水芭蕉、那須連山の紅葉、北アルプス
がわたしを待ってる。




温泉めぐり、食べ歩き、ギター教室、同窓会などなど。

しかし、すべてが夢に終わりました。


難病で苦しんでみえる方の存在は知ってましたが、自分には縁がないと思ってました。

人生なんてわからないですね。


障害が進行していき身体の自由が徐々に奪われていくのを嘆いた時期もありましたが、人工呼吸器を着けて重度障害まで進むと前を向いて行くしかないんだと思うようになりました。




医療介護スタッフに守られ、友人・知人からエールを送っていただいていることに感謝しこれからもがんばっていきます。







最後までお読みいただきありがとうございました。