難病ALSと闘う inayan777のブログ

私は現在ALS(筋萎縮性側索硬化症)という難病と闘っています。この難病は10万人に1人と言われる原因不明の神経性難病です。今から100年以上も昔に発見された病気ですが、現在の医学では治すことができないのです。症状の進行は驚くほど速く、発症して1年3ヵ月後に胃瘻を造設して、その4ヶ月後には両肩関節機能全廃となり、身体障害者手帳3級(現在1級)になりました。介護認定も行っており要介護5になりました。このブログでは発症してから現在までの経緯や日々進行していく身体の変化、日常生活の様子、現在感じていることなどをご紹介していきたいと考えています。私は同じような難病や病気と闘っていらっしゃる方々と共にこの難病と闘い、絶対に乗り越えていこうと思います。また、この難病に少しでも関心をもってくださっている方々からもアクセスしていただければ大歓迎です。日々進行していく病気との闘いとの恐怖の中で、心だけは絶対に負けないように生きていこうと思います。ともにがんばっていきましょう!!

ALSを発症して10年になります

体に違和感を覚えたのは10年前の6月下旬でした。
腕立て伏せをしようとしたら、右腕に力が入らなく何度やってもだめでした。その時はおかしいなと感じた程度で別に驚きもしませんでした。
思い当ることとしては会社創立記念ボーリング大会で2ゲーム投球したことです。一週間以上も経って疲れが出るとは?
異変を感じながらも、この歳になれば一つや二つ身体に異常が起きても不思議ではないと思ってました。


この頃描いていた夢は定年退職後は体を鍛え直し、日本100名山生涯50座踏破にチャレンジすることでした。10年後の現在は40座に到達している予定でした。


まさか闘病生活を送っているとは⁉ 
脳出血で麻痺した足がリハビリで奇跡的に治り、歩けるようになった80歳位の女性にあったことがあります。とても嬉しそうだった表情が忘れられません。


しかし、ALS患者ではありえないことです。

今日よりも良い明日はないのです。人生の終末期を話せない、食べれない、体が動かない、呼吸ができない闘病生活で終わるのは過酷過ぎます。
患者さんの7割が人工呼吸器を拒否し診断を受けてから数年以内に呼吸不全で亡くなられてます。この中には人工呼吸器を着けて生きたくても家庭環境などの事情で死を選択するしかなかった患者さんもいらっしゃいます。


人工呼吸器を選択しても辛い生活は変わりません。
ではなぜ人工呼吸器を選択したのかと聴かれたら死ぬのが怖かったからです。

それと悔しさです。
人間はいつかは死ぬ。しかし、余りに理不尽。悔しくてたまりません。
実は10年経った今もALSを受け入れてはいません。
負けてたまるか。この世に生を受けたかけがえのない命です。
死ぬために生まれてきたのではありません。生ききることです。


わたしには気持ちに寄り添ってくださる医療・介護スタッフさんがいます。余命3年から5年と宣告され、5年8ヶ月で呼吸苦に襲われました。直後に気管切開し、その後人工呼吸器を着け元気に過ごせているのはスタッフさんのおかげと感謝しています。
実は病気(ALS)の他にも難題を抱えてますが、何とかして乗り越えたいです。







最後までお読みいただきありがとうございました。

4年ぶりのALS支部総会

先日ALS協会愛知県支部総会に参加しました。コロナ禍で4年ぶりの開催はとても長く感じ感慨深かったです。


会場参加したかったですが、往復時間を含めると長時間は重度障害者のわたしにはきつく、又、日曜にお昼前からヘルパー2名の確保が難しくリモート(Zoom)で参加しました。
リモートの利点は会場に足を運べない重度障害者や遠方に住んでいる方々にとっては自宅のパソコン画面から参加できることです。


コロナ禍でリモートが急速に普及しているようですが、患者さんや介護事業所の間ではまだまだ少ないです。ZoomソフトのインストールとZoom操作の仕方を普及させることが課題です。

今回はZoomで静岡県、富山県からも参加者がありました。他県では患者会員が少数なため情報が少ない患者家族さまには有意義な会だったと思います。また、わたし個人としても他県の方と交流を深めることは嬉しいです。


会場参加者の中には発症16年目のOさんの姿も見えました。まだ気管切開してなく手で文字盤を打ってみえるようでした。9年前に初めて会った時と殆ど変わられてないようでびっくりしました。

今回の支部総会では上記の他に、熱田先生(愛知医科大学准教授)の講演があり、ALS治療の現状について聴くことができました。


素晴らしい支部総会でした。






最後までお読みいただきありがとうございました。

ゴロン2023に参加しました

先日ゴロンに参加しました。
ヘルパー2名同行で久しぶりの遠出です。
ゴロンについて簡単にご説明します。6月の世界ALSデーに因んで行われるイベントです。


参加者全員が一斉に5分間仰向けになりその間は動かないのがルールです。
全国各地で開催されてますが、名古屋は催し物が多く国内最大級で県外からも多数参加されてます。



知り合いの患者さんと5年ぶりに対面できて嬉しかったです。
お互いが人工呼吸器を着けたので介護者を介しての会話はわずかでしたが、患者同士で接する機会が中々ないのでリアルで会えることは大事ですね。


人工呼吸器を選択すると呼吸機能が確保されますが、上手く生活できている患者は一握りと聞いてます。


過酷な闘病生活なので、久しぶりに色々な人と再会し気持ちをリセットできました。



ゴロン事務局よりSNSで発信された動画を観ていたら、たまたまヘルパーとわたしの会話も映ってました。


ヘルパーなしでは意思伝達も外出もできません。ゴロンに参加したくてもヘルパーの確保、その他の条件が揃わない方もいらっしゃるので、ありがたいと思っています。





最後までお読みいただきありがとうございました。

コロナ禍の3年半を振り返って

コロナ禍は終息してませんが、5類への移行に伴い様々な規制が解除され街は活気を取り戻しています。
ここで3年半を振り返ってみようと思います。



コロナ禍で大変だったことです。
初期は①気管カニューレが不足し、通常のサイクル(4週間)で交換できなかった。②入院中はヘルパー入室の人数制限があり、ヘルパー不在時のナースコールは優先順位がつけられた。③マスク、衛生綿、消毒液などの衛生用品が不足していた頃に吸引用チューブの洗浄水の確保が大変だった。④訪問入浴事業所が休業となり約1ヶ月入浴できなかった。



コロナ禍2,3年目以降はカニューレや衛生用品不足が改善され、入院時のヘルパー入室制限も緩和され、又、感染者の休業期間が短縮されました。


しかし、昨年県内1日感染者数が連日数千人台だった時期は医療スタッフ、介護スタッフ、訪問入浴事業所で次々と感染者が出て身近に迫ってきているのを感じました。わたしは昨年3回濃厚接触者になりました。
どこまで増え続けるのか恐怖でしたが、そんな状況下でも医療・介護スタッフの方々が常に感染の危険にさらされながらも通常通り入ってくださったことに感謝の気持ちで一杯です。
カニューレの予備を置くようにし、訪問入浴事業所を2社に増やすなどリスク管理を見直し、又、ズームを使えば遠方の人にも会えました。中でも1000キロ離れたALS協会北海道帯広支会の患者家族会にリモート参加させていただけたことが印象的でした。



コロナ禍では色々なことに気づかされ学んだことも多かったです。


コロナが収束したら電車で遠出したいですね。愛知県内の他に京都へ紅葉狩りなど。患者会参加をズームから会場に戻したいです。Face to Faceは大事ですね。






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5月の楽しみ

先日ヘルパー2名介助が3時間とれたので鶴舞公園まで出かけました。


ツツジ、菖蒲、ネモフィラが観れるのを楽しみにしてましたが、全部ハズレました。
今年は桜の開花が随分早かったですが、ツツジも早かったようで既に枯れ始めてました。


20年以上も前のこの時期に訪れたときはツツジが満開で素晴らしかったのが今も強く印象に残っています。とても楽しみにしていたので残念でした。


しかしながら、バラは丁度見頃でした。


赤色、黄色、オレンジ色と多彩で青空に映えて綺麗でした。


園内散策は60分の予定でしたが、長時間の座位はお尻が痛く、手の痺れや浮腫みも強くなり少し早めに引き上げました。


手指も手のひらも腫れあがり、野球のグローブのようでした。


日常生活が殆ど横になってますので、身体を長時間起こしていると痛みや痺れなどの症状が出ますが、爽やかな青空の下で太陽の光を浴びとても良い気分転換になりました。







最後までお読みいただきありがとうございました。