難病ALSと闘う inayan777のブログ

私は現在ALS(筋萎縮性側索硬化症)という難病と闘っています。この難病は10万人に1人と言われる原因不明の神経性難病です。今から100年以上も昔に発見された病気ですが、現在の医学では治すことができないのです。症状の進行は驚くほど速く、発症して1年3ヵ月後に胃瘻を造設して、その4ヶ月後には両肩関節機能全廃となり、身体障害者手帳3級(現在1級)になりました。介護認定も行っており要介護5になりました。このブログでは発症してから現在までの経緯や日々進行していく身体の変化、日常生活の様子、現在感じていることなどをご紹介していきたいと考えています。私は同じような難病や病気と闘っていらっしゃる方々と共にこの難病と闘い、絶対に乗り越えていこうと思います。また、この難病に少しでも関心をもってくださっている方々からもアクセスしていただければ大歓迎です。日々進行していく病気との闘いとの恐怖の中で、心だけは絶対に負けないように生きていこうと思います。ともにがんばっていきましょう!!

バイパップ(NPPV)と人工呼吸器(TPPV)について

ALSを発症し5年目にレスパイト入院できる病院がみつかりました。


その頃は栄養はすべて胃瘻からの経管栄養で両手が不自由でしたが、足には症状が全くなく一人で散歩ができました。
将来人工呼吸器を着けて生活することは恐ろしくて考えないようにしてました。
しかしながら、症状がゆっくりですが進行していたので、家族の負担を軽くするためにもレスパイト入院を体験する必要性を感じていました。
2017年8月に診察を受け、すぐにでもレスパイトできるとのことだったので入院しました。1週間程度で退院のつもりでしたが、夜中にサチュレーションが85位に下がることがあり入院が延びました。
仰臥位で舌の麻痺が気道を塞いでいることも考えられるとのことでバイパップ(NPPV)を夜間睡眠時に装着することになりました。



バイパップは口から吐いた分だけ空気が送り込まれる仕組みになってますが、空気漏れを防ぐためマスクのベルトがきつく顔にベルトの痕が残りました。


夜間だけの装着でしたがこんな状態でした。


昼間も装着してたら、スキントラブルがもっと酷かったと思います。水中メガネを着けるとベルトがきついですが感覚がよく似てました。

バイパップは退院後も在宅で必要になるので、慣れるには訓練を要し、入院期間は2ヶ月に及びました。


この頃から肺活量が徐々に落ち始めてましたが、バイパップを在宅でも夜の就寝時間中だけ使用し昼間は外しても、気管切開するまでの1年数ヶ月は激しい運動をしなければ息苦しさを感じませんでした。
しかし、医師からはバイパップを使用して約半年後から通院の度に呼吸困難がいつ起きてもおかしくないので、気管切開するなら早めにしたほうがいいと言われてました。


その頃の下肢の状態は健常者の時と余り変わってませんでしたが、首は不安定さが増していたので、頸椎カラーでしっかり固定し頭が前に垂れないように少し上向きにして、毎日自宅周辺を散歩(歩行運動)してました。転倒したら自力で起きられないリスクを抱えていたので、随分無茶なことをしていたと思います。
高校時代にテニス部でランニング、大学ではスケート部でスケーティングと足腰をいじめぬき、社会人になってからも山登りもしてました。
スケートはフィギュアだったのでジャンプもスピンも背筋をまっすぐに伸ばして軸を作り、片足で全身を支えていたので、バランスをとって片足で立つのは50歳を過ぎても普通にでき、転倒する気がしませんでした。
しかし、肺活量が健常者の時の半分以下の1500まで低下していたので、散歩はゆっくり歩くように気をつけました。
普通に歩くとしばらくして息苦しくなり、立ち止まって大きく深呼吸し呼吸を整えてました。自宅へ戻るとバイパップを着けて1時間程休んでました。医師から気管切開を勧められても先延ばしにし1年近く経ってました。



気管切開に踏み切れなかった一番の理由は声を失うことでした。
中々決断できなく不安を抱えたままの生活でしたが、2019年3月の夜椅子に座ってヘルパーさんと会話中に突然息苦しくなり床に横になりました。
気道閉塞でした。痰詰まりで肺へ空気が送られてませんでした。家族も呼んで痰吸引や口腔内を水で浸したりしてもらいましたが、サチュレーションが80をきり声も出せなく意識が遠のいていくようでした。救急車を呼ぼうかと聞かれても返事ができませんでした。


生死を分けたのは鼻からの吸引でした。吸引カテーテルチューブは口からでは20㎝位ですが、鼻から通すと気道と食道の分岐点を超えて30㎝近くまで届きました。
ほんの数分間の勝負でしたがとても長く感じました。
あの苦しさは二度と味わいたくないと思い、翌々日に入院し7日後に気管切開手術を受けました。手術は30分程度で終わりました。



誤嚥性肺炎のリスクは抱えたままでしたので、喉頭気管分離手術を同時に実施する選択肢もありましたが、スピーチカニューレを着けると声が出せる可能性を残すことにしました。
その日の夜から呼吸器は人工呼吸器(TPPV)に変わりましたが、空気が喉に送り込まれているのがわからないくらい緩やかで静かだったのには驚きました。バイパップを使っていた時は肺活量が少なくなっていくにつれて送られてくる音が大きくなっていたのを思い出します。




気管切開をして予想外のことがもう一つありました。
それは痰が多いことでした。喉のあたりからの痰、肺から上がってくる痰があります。痰の量は個人差があり、わたしは1日平均15回~20回吸引してます。
痰吸引は放っておくと痰が肺に溜まり肺炎のもとになります。また、痰が硬いと吸引しにくくなるので、部屋の湿度や水分摂取量にも気をつけています。
気管切開し人工呼吸器を選択する患者は3割と聞いてます。ALSを発症された患者さんは症状の進行のしかたも速さも様々です。また、生活環境も其々です。ご家族の意見もあります。決断は辛すぎますね。


進行が早く発症2年で亡くなられた方がいらっしゃいました。人工呼吸器を15年以上着けないでいる方も稀ですがいらっしゃいます。人工呼吸器を着けても胃瘻造設せず口から食べている方もいらっしゃいます。
ALSの診断を受けた時、通院時、レスパイト入院時に複数の医師から症状の進行について、ご説明いただいたことは当たっていることと外れていることがあります。だから難病なのですね。



ALSを発症され人工呼吸器を着けるかどうか結論を出せないまま日にちだけが過ぎていく方々が多数いらっしゃると思います。
医師、スタッフさん、ALS協会、SNSなど多方面から情報収集されるといいと思います。
また、人工呼吸器を着けてるとどんな生活になるのかイメージできない方々は、ALS協会やスタッフさんなどから紹介が得られれば療養生活を見学したり、パソコンがあれば画面を通してオンラインでの対面も可能ではないでしょうか。
患者さん本人でないと語れない思いもあります。








最後までお読みいただきありがとうございました。