難病ALSと闘う inayan777のブログ

私は現在ALS(筋萎縮性側索硬化症)という難病と闘っています。この難病は10万人に1人と言われる原因不明の神経性難病です。今から100年以上も昔に発見された病気ですが、現在の医学では治すことができないのです。症状の進行は驚くほど速く、発症して1年3ヵ月後に胃瘻を造設して、その4ヶ月後には両肩関節機能全廃となり、身体障害者手帳3級(現在1級)になりました。介護認定も行っており要介護5になりました。このブログでは発症してから現在までの経緯や日々進行していく身体の変化、日常生活の様子、現在感じていることなどをご紹介していきたいと考えています。私は同じような難病や病気と闘っていらっしゃる方々と共にこの難病と闘い、絶対に乗り越えていこうと思います。また、この難病に少しでも関心をもってくださっている方々からもアクセスしていただければ大歓迎です。日々進行していく病気との闘いとの恐怖の中で、心だけは絶対に負けないように生きていこうと思います。ともにがんばっていきましょう!!

8年前の今日はサラリーマン生活を終えた日です

8年前の今日2月28日は会社を病気退職した日です。
前月2週間の検査入院の結果ALSと診断され絶望の淵に立たされてました。退院したら仕事場に戻ることしか頭になかったのですが、家族から1月末で退職してほしいと説得されました。


退院した日の夕刻に会社へ行き、診断書を提出し退職の意思を伝えましたが慰留されました。出社時刻は遅れてもいいので有給休暇を消化して退職を延ばすよう要請され、2月から勤務を再開しました。

右手が上には上がらなくなり肩に痛みがありましたが、パソコンは普通にできて事務には影響がありませんでした。
しかし、毎朝7時15分に出社し22時過ぎに帰宅する体力はもうありませんでした。毎朝6時に目が覚めても起き上がれなく、9時頃朝食をとって11時前に出社してました。


仕事をしている時は病気のことを忘れられるので精神的に楽でした。
しかしながら、このままでは進行していく病気に対し、何らかの対策をとる必要性も感じてました。


経済的なことを考えるとあと半年位仕事の継続を考えてましたが、進行が早まるのではとの不安もありました。幸いにも長男は独立し長女も就職し、住宅ローンの返済も終わってました。発症が10年早かったらかなり逼迫していたと思います。



2月は仕事の傍らで在宅の時間は東洋医学や温泉治療で治らないものかと考え、ネット検索ばかりしてました。
ALS患者さんのブログに目を通したり、ALS協会の存在を知ったのもこの頃でした。また、有給休暇をとって鍼治療のため東京へも行きました。

1ヶ月の間に仕事の引継ぎも終わったので、2月末で退職届を提出し受理されました。


2月28日は就業時間の終わりに挨拶し花束を渡されて終わりました。てっきり送別会があると思っていたのですが、代わりに餞別をいただき少し拍子抜けしました。
食事が少しし辛いことへの気遣いだったのかもしれません。難病を患って辞めるらしいことが伝わっていたので、送別会を開いても幹事の人はどう声掛けしていいのか戸惑いもあっただろうと思います。
21年間慣れ親しんだ会社の去り際は寂しいものでした。



定年退職ならば明日からどうやって暮らそうかと考える方もみえますが、余命が3年〜5年と宣告されたわたしにはいつまでも泣き崩れている時間的余裕はありませんでした。


検査入院していた大学病院の医師からは、毎月の定期受診と当時唯一の進行抑制薬リルゾールの説明だけでした。リルゾールについては余命を約2ヶ月延ばす効果がありますと聞いた時はたったの2ヶ月!?落胆が大きかったです。
これからどう生きていけばいいのか?


毎日ネットで情報収集し、日本ALS協会の存在を知りました。本部へ問い合わせたところ地元の愛知県支部を紹介されました。

早速妻と二人で支部を訪問し在宅医、鍼灸院を紹介していただきました。利用できる社会資源や患者会の話も聴かせていただき道しるべが見えました。温かいことばが何より嬉しかったです。

医師から胃瘻造設と人工呼吸器選択の有無の決断を迫られるのが2ヶ月後にあるとは知らずに、この時は希望を持って頑張ろうという気持ちだけでした。


この後の2年間は先々の療養生活を考えながら、旅行を重ね楽しく過ごせました。
同じALS患者の方との交流もあり充実してました。5年後には気管切開手術をし、人工呼吸器で生きる道を選択をしました。



色々な葛藤があり今も続いてますが、気持ちだけは負けないようにしています。
その根底にあるのはと聴かれたら? 
三つあります。

一つ目はALSを罹患した悔しさからくる負けてたまるかという気持ちです。
二つ目は同じ病気仲間のSNSなどを通してのメッセージです。
三つ目は医療・介護スタッフさまのサポートです。
その他友人からの励ましも忘れません。



多くの方々の支えに感謝し生き抜いて行きます。







最後までお読みいただきありがとうございました。