難病ALSと闘う inayan777のブログ

私は現在ALS(筋萎縮性側索硬化症)という難病と闘っています。この難病は10万人に1人と言われる原因不明の神経性難病です。今から100年以上も昔に発見された病気ですが、現在の医学では治すことができないのです。症状の進行は驚くほど速く、発症して1年3ヵ月後に胃瘻を造設して、その4ヶ月後には両肩関節機能全廃となり、身体障害者手帳3級(現在2級)になりました。介護認定も行っており要介護5になりました。このブログでは発症してから現在までの経緯や日々進行していく身体の変化、日常生活の様子、現在感じていることなどをご紹介していきたいと考えています。私は同じような難病や病気と闘っていらっしゃる方々と共にこの難病と闘い、絶対に乗り越えていこうと思います。また、この難病に少しでも関心をもってくださっている方々からもアクセスしていただければ大歓迎です。日々進行していく病気との闘いとの恐怖の中で、心だけは絶対に負けないように生きていこうと思います。ともにがんばっていきましょう!!

医療態勢で想定外のことが起きました

 

ALSを発症してまもなく3年になります。今年4月に要介護が3→5になり、今後の介護態勢、居住環境を早急に整えていかなければならない状況に来ています。医療態勢については万全を期したつもりでしたが、思わぬことが起きてしまいました。胃瘻の造設を一昨年10月に行い、その後 6ヶ月ごとに大学病院で胃瘻交換(入院)を行ってきましたが、大学病院の事情で先月4月の交換が最後となり、次回からはかかりつけの病院で行う予定になっておりました。ところが、その病院から医療方針が変わったので、在宅での胃瘻交換ができなくなったと言ってきたのです。この病院は療養型病院のため入院は行っていませんが、在宅医療ができるので、既にラジカット治療を在宅で行っていて、胃瘻交換と将来人口呼吸器を装着した後のカニューレ交換も含めて、この病院でお世話になろうと決めていました。今週神経内科医の訪問診察(ラジカット治療)があり、今後の医療について相談しましたが、「胃瘻交換を通院で続けていくのは難しくなると思うので、ラジカット治療も含めて、新しい病院に移ったほうがいいと思います」とのことでした。この医師との出会いはラジカット治療を開始した昨年7月でしたが、気さくで相談しやすい頼りになる先生でしたので、突然の病院からの医療方針変更通知を聞いて釈然としない気持ちです。新しい病院(医師)を探すに当たっては、レスパイトの可否も含めて、訪問看護師さんやケアマネさんなどと相談していますが、「雲をつかむような話ですね」と言われてしまいました。しかし、今の私には下を向いている余裕などありません。新たに診てもらえるかかりつけ医院を見つけることが最重要課題になりました。



ALS発症時の様子③

私は2014年1月16日から30日まで、名古屋大学病院で検査入院を受けました。この入院は手術をするわけでなく痛みを伴わないので、そういう意味では楽な入院でした。セントラル病院で受けたのと同じ検査の外に、 MRI 2回、燕下検査、針筋電図、肺活量などの検査を行いました。背中に注射して髄液を取ったときは少し痛かったが、その他の検査は辛くはありませんでした。 1日ごとに行われる検査は余裕があり、テレビを見たり、談話室へ行って窓から景色を眺めたり、読書をしたりしてゆったりした快適な生活を送ることができました。何よりも嬉しかったのは、看護師さんが優しく親切に接してくださり、心が癒されたことです。 このときはまだALSという病気の名前すら知らなかったし、腕や肩に障害が広がっていたが、医療の先端を行く名古屋大学病院だから、治してくれるだろうと楽観的に考えてました。 1月28日に検査が一通り終わり、 医師から29日の夜に検査の結果説明を行うので家族にも集まってもらいたいとの話がありました。このとき何か嫌な予感がしたのでした。医師の説明を聞くために集まったのは私の外に、家内と長男、長女、私の姉の4人でした。長男は東京で仕事をしていたので、その日は早めに仕事を切り上げて、名古屋まで飛んできてくれました。
医師からの説明は以下の通りでした。あなたの病気は筋委縮性側索硬化症という病気です。平均して2年から4年の間に寝たきり状態になり、その後呼吸不全がやってきます。このときに人工呼吸器をつけるかどうか決めなければいけません。人工呼吸器を付けると外すことができません。 この他に、燕下機能も障害が進むと食べることができなくなるので胃ろうをつけることが必要となってきます。
まさか自分に限ってこんなことが! 脳神経外科の先生にも診てもらおう。この事実を到底受け入れることができない。医師からの説明が終わったあとで、同席してくれた家族と何を話したのか全く覚えていない。その日の夜はベッドで1人泣いていて、眠れなかったのを覚えています。


ALS発症時の様子②

2013年11月かかりつけの医院を腕の症状のこととは別の用事で訪問することがありました。この用事がなかったら、ALSの告知を受けるのは、もう少し遅れていたと思います。
このときの私は腕の症状は鍼灸院で診てもらおうと考えていたので、医師に相談するつもりはなかったのですが、医師の方から私の顔を見て、「顔面麻痺があるのかな。総合病院を紹介するので検査を受けてください」との話がありました。予想もしなかった医師からの話に驚きましたが、「大丈夫だよ。心配する程のことではないです。とりあえず検査だけは受けましょう」と言われたので、私はすっかり安心して、紹介状を持って名古屋セントラル病院神経内科で診察を受けることにしました。まさか悲劇が起きようとはこの時は全く予想もしてませんでした。11月下旬に名古屋セントラル病院を訪ねましたが、精密検査は12月中旬に行われました。その日は仕事を午前中で切り上げて、午後1時から 3時間位の検査を受けました。採血から始まり、CT検査などを受けましたが、筋電図検査は生まれて初めてだったので最初は少し驚きました。手と足の何箇所かに電気を通して体の反応を見る検査ですが、気持ちのいいものではないですね。何度かやり直しがあり、筋電図だけで長時間やった記憶があります。終了する頃には大分慣れてきました。検査結果は翌週になり、12月も下旬に入ってました。主治医より、具体的な病名は出ませんでした。運動ニューロンの病気かもしれないとだけしか聞かされませんでした。そして名古屋大学病院への紹介状を書いてもらい、年の瀬が近い12月26日に名古屋大学病院を訪ね、診察の結果2週間の検査入院をすることになりました。私はまだALSという病気の名前すら知りませんでした。