難病ALSと闘う inayan777のブログ

私は現在ALS(筋萎縮性側索硬化症)という難病と闘っています。この難病は10万人に1人と言われる原因不明の神経性難病です。今から100年以上も昔に発見された病気ですが、現在の医学では治すことができないのです。症状の進行は驚くほど速く、発症して1年3ヵ月後に胃瘻を造設して、その4ヶ月後には両肩関節機能全廃となり、身体障害者手帳3級(現在1級)になりました。介護認定も行っており要介護5になりました。このブログでは発症してから現在までの経緯や日々進行していく身体の変化、日常生活の様子、現在感じていることなどをご紹介していきたいと考えています。私は同じような難病や病気と闘っていらっしゃる方々と共にこの難病と闘い、絶対に乗り越えていこうと思います。また、この難病に少しでも関心をもってくださっている方々からもアクセスしていただければ大歓迎です。日々進行していく病気との闘いとの恐怖の中で、心だけは絶対に負けないように生きていこうと思います。ともにがんばっていきましょう!!

娘の結婚式

先日娘の結婚式がありました。


 難病ALSを発症して障害が進行していく中、出席できるか不安を抱えておりましたが、何とか娘の晴れの日を迎えることができました。



父親としては精一杯の愛情を注いできたつもりでした。しかしながら、娘は物心ついてくると、私の干渉が鬱陶しく感じていたようで、
娘との距離を模索する時期が長く続きました。


そんな中、私が病気を患って介護を必要とする体になってしまうと、娘は自分の仕事の傍らで私や妻を一生懸命に助けてくれました。父親としては嬉しい反面、結婚して幸せになってほしいと願っておりました。



実は娘には3年前から付き合っている人がいたのです。家内と息子は知っていましたが、私には2年間伏せられていました。そのうちに親戚にまで知れ渡り、最後に私に告げられたようでした。(笑)



一年前に突然告げられた時は少々歳が離れていることもあって、嬉しさ、驚き、ショックなどなど気持ちに混乱を抱えることとなりました。


しかしながら、その後何度か新郎にお会いして誠実な人柄に触れ、娘もとても頼りにしていることを目にするうちに、気持ちも整理がつきました。




披露宴会場ではこんな格好でした。



新婦の父にも挨拶の時間を設けていただきました。声が出にくくなりましたが、何とかがんばりました。



ヘルパーさんに支えられて、バージンロードを娘と歩けたことは忘れられない思い出となりました。


久しぶりに親戚が集まり、盛り上げてくれて楽しい結婚式でした。こんなに心地よい気分を味わったのは何年ぶりでしょうか。


病気になってから辛いことが多いですが、生きていれば楽しいこともありますね。今はとても幸せな気分です。


嚥下障害について

ALS(筋萎縮性側索硬化症)を発症して4年7ヶ月、診断を受けて4年になります。 障害の進行は1日ごとではわからなくても、1ヶ月ごと、半月ごとで検証すると明らかに進行しているのがわかります。


昨年末に唾液と鼻炎からくる鼻漏が途切れることがなく、低圧持続吸引器での吸引では追いつかなくなり、誤嚥して熱を出してしまいました。その時からはパワーのある大型吸引器だけを使用しています。



低圧持続吸引器は熱帯魚用水槽で使われているモーターを改造した手作りです。


現在はこの大型吸引器を使用しています。



ALSでは口、舌、喉などの周辺の筋肉の力が低下するため、口の中で唾液をとり回し、呑み込むことが難しくなっていきます。


私の場合は発症1年目から症状があり、次第に口を大きく開けられなくなり、舌も縮んで、昨年誤嚥性肺炎を起こしてからは口からの飲食ができなくなりました。一方で私の知っている人で発症10年目で口と舌の症状が速くて発話が難しいですが、口からの飲食がゆっくり時間をかけてできる人もいます。


口や舌や喉の麻痺症状(球麻痺と書いてきゅうまひと読みます)がいつやって来るのかは、発症してから早い人や遅い人があってまちまちです。




唾液を呑込むだけでどうして誤嚥するのでしょか?
健常者の皆さんはこういう疑問を持たれますよね。


1日の殆どを吸引してます。



喉の中は食道と気道に分かれているのですが、口から入った飲食物は健常者であれば、弁が自動的に動いて食道へ流れていきますが、ALSで嚥下症状が進行している人は、ゴクンと呑込むときの喉ぼとけの上下運動が弱くなり弁が正常に動かなくなると誤嚥を引き起こします。また、喉の奥にある窪みに溜まりやすく、窪みに溜まった唾液が溢れて肺に流れ込んで肺炎を起こすこともあります。


1年前は既に食事の大半を胃瘻から入れて、口からはミキサー食かキザミ食の少量を入れてました。お寿司ですと2貫位しか食べられなかったので、4貫をハサミで四つに切って、4種類の味を楽しんでました。しかし、嚥下症状が更に進み、この食べ方も長くは続きませんでした。




口からの飲食が全くできなくなったことへの苦痛はありましたが、気管切開を遅らすためには我慢するしかありません。
今は唾液の誤嚥を回避するための新たな課題に取り組んでいます。


写真を撮る楽しみ

ALSを発症して5年目です。私は上肢から障害が進行していて、3年前に肩関節全廃で身体障害者手帳を受け取りました。この時点で両手が上がりませんでしたが、手首が動かせて握力が左右とも15位あったので、デジカメ(270g)を持って写真撮影ができました。
この時は両手をVの字に曲げてカメラを持って膝の上に載せて、膝を曲げたまま勢いをつけて上げるとカメラを持ったまま両手を胸の位置まで運んで何とか撮影できました。


当時撮影した1部をお見せします。


2014年10月 胃ろう造設手術の1週間後自家用車で中央高速を飛ばして、長野県北八ヶ岳 麦草峠を目指し、途中で紅葉の名所に立ち寄りました。高速道路を運転したのはこの時が最後になりました。



2014年10月 長野県小布施を訪れました。ドウダンツツジが鮮やかに紅葉していました。



2015年4月 残雪の北アルプスを見たくて、長野県松本まで行きました。松本城と北アルプスをセットで撮りました。



2015年10月 長野県上高地岳沢湿原(かみこうち だけさわしつげん)です。
バスターミナル側から行くと河童橋を渡って、明神池方向へ7分位のところにあります。到着すると首が疲労して歩けなくなってしまい、20分位横になってました。明神池へ行く途中の木道から数メートル逸れたところに設置された面積8畳位の見晴台なので、そこに立ち寄った人から「大丈夫ですか?」と声をかけられると恥ずかしかったです。




幸い足には異常がなく普通に歩けたので、一人で公共交通機関に乗って桜や紅葉の名所へ行ったりして写真撮影を楽しみました。
この時は転倒したら自力で体を起こせないので、足元には十分注意しながら歩きました。


しかし、数か月後には両手を組んで胸の位置まで運ぶ力がなくなり、他の撮影方法を模索していました。そんな時家族で自宅近くの電化製品の店へ行き店内に並んでいるスマホに目が留まりました。当時携帯はガラケーを使っていましたが、スマホを体験するなら今しかないと思い、ガラケーからスマホへ代えました。スマホには様々な機能がついていて、Facebookも早速体験してみました。撮影した写真をFacebookの投稿に簡単に載せることができて新しい楽しみができました。


スマホを購入してからは写真撮影する時にデジカメを使わなくなりました。デジカメを持って出かける時、最初は肩に掛けてましたが、肩回りの筋肉が痩せてくると軽量カメラでも肩が痛くなるので、ウエストポーチの中に入れるようにしていました。スマホを持ち歩くようになってからはカメラがデジカメとスマホの二つになり、ウエストポーチに入れて歩くのが面倒になったので、写真撮影はスマホだけにしました。


2016年4月 自宅から地下鉄を利用して約40分の庄内川緑地公園です。


肩や腕、首の痛みや疲労感が徐々に増していきましたが、自宅で静養していても痛みが治まるわけではなかったので、外出はいい気分転換になりました。


3年前に15だった握力も、2年前に7~8に低下するとスマホを落としてしまうことが多くなり、スマートフォンリングをつけました。



20代から30代の頃は暇があれば、一眼レフカメラを携えて山に登ってました。風景写真が好きなので手が不自由になっても、可能な限り撮影を続けようと思いました。


公園などへ行けば柵やベンチを台の代わりにして何とか撮影ができました。


スマートフォンリングは握力が2~5に落ちた今ではとても重宝していますが、自力で撮影するのが難しくなりました。



2017年4月 南信州ヘブンス園原です。ゴンドラに乗って数百メートル上がった所に水芭蕉園があります。わたしはもう撮影が無理なので、同行した息子に撮ってもらいました。



写真撮影したい時は同行者に撮ってもらいますが、構図は私が決めるので、希望通りに撮ってもらえると満足感があります。
しばらくすると梅や桜の季節がやってくるので、体の状態が現状維持できれば、また撮影に出かけたいですね。





2018年元旦

あけましておめでとうございます

  

新しい年を迎えられたことに感謝です。


あの日からもうすぐ4年。
体の異変に気付いていましたが、原因がわからないまま半年が過ぎて、大学病院で検査入院の結果ALS(筋萎縮性側索硬化症)と診断されてから、もうすぐ4年になります。


医師からの説明は「この病気は治療方法がない難病です。進行が速く平均的にみると2年~4年で寝たきり状態になり、呼吸不全となるので人工呼吸器を選択しなければ余命期間は5年です。人工呼吸器の装着を選択した場合は亡くなるまで途中で外すことができません」以上でした。


この後の会話のやりとりは殆ど覚えていません。一緒に説明を聴いていた家族は悲痛な表情で帰っていき、私は病院のベッドで一人泣きながら、眠れませんでした。


あの日からもうすぐ4年。診断時の医師の説明通りに障害が進行していたのであれば、私は寝たきり状態で余命があと6ヶ月ということになりますが、お陰様でまだ足は大丈夫です。呼吸機能は低下してますが、まだ息苦しさはないです。


昨年1年間では上肢の筋肉の痩せが進んで亜脱臼している肩が痛く、首も支えている筋力が低下しているので更に不安定になりました。


嚥下障害も進行し誤嚥による肺炎を起こしてからは、口からの摂取を止めてすべての栄養を胃瘻から入れています。


胃瘻からの栄養は1日3食とも同じですが、おやつに野菜ジュースを入れています。


3年位前から唾液が多くなってますが、7ヶ月前から唾液が上手く呑み込めなくて、誤嚥することもあるので、1日24時間の内の殆どを吸引しています。


この1年で体の不自由さが増し、常時家族かヘルパーさんによる介護が必要になってきました。
1年後は障害がどこまで進行しているのか、もしかしてこの世にはいないかもしれないですが、そんなことは深く考えないようにしています。
発症して既に4年が経ってますが、まだ元気でいられることに感謝しています。


先のことについての環境整備、介護態勢の強化、意思伝達の訓練などできる準備をした上で、多くの人に支えられながら、1日1日を大切に自分らしい生活をして、残りの人生を生ききりたいと考えています。