難病ALSと闘う inayan777のブログ

私は現在ALS(筋萎縮性側索硬化症)という難病と闘っています。この難病は10万人に1人と言われる原因不明の神経性難病です。今から100年以上も昔に発見された病気ですが、現在の医学では治すことができないのです。症状の進行は驚くほど速く、発症して1年3ヵ月後に胃瘻を造設して、その4ヶ月後には両肩関節機能全廃となり、身体障害者手帳3級(現在1級)になりました。介護認定も行っており要介護5になりました。このブログでは発症してから現在までの経緯や日々進行していく身体の変化、日常生活の様子、現在感じていることなどをご紹介していきたいと考えています。私は同じような難病や病気と闘っていらっしゃる方々と共にこの難病と闘い、絶対に乗り越えていこうと思います。また、この難病に少しでも関心をもってくださっている方々からもアクセスしていただければ大歓迎です。日々進行していく病気との闘いとの恐怖の中で、心だけは絶対に負けないように生きていこうと思います。ともにがんばっていきましょう!!

体の異変

昨年は身体の症状が徐々に進行しているものの大きな変化がなく一年を平穏に過ごせました。



しかし、今年は正月から摘便の失敗で翌日再チャレンジしました。

それくらいならいいのですが、18日から連日で異変が起きています。18日は訪問入浴中に、19日は頸椎カラーを装着中に、20日は左側臥位中と清拭の後に、21日は訪問入浴で浴槽からベッドへ移動中に起きました。


顎が前に出て頭が少しだけ後屈したのが原因です。以前ならこの程度なら大丈夫でしたが、今は気道に閉塞感があり息苦しくなります。

この状態を治すのは顎を引くことです。そのあとで枕を高くしベッドの頭角度を30度位に上げると呼吸が楽になり脈も落ち着きます。この処置が遅いと呼吸困難に陥り死に至ります。

声が出せたらすぐに伝わることがヘルパーさんへ透明文字盤を使って言いたいことを読みとってもらうしか伝達手段がないのがもどかしいです。



18日の入浴中はヘルパーさんに中々気づいてもらえなく、20日の清拭時も文字盤に慣れていないヘルパーさんだったので、意思が伝わるまでに時間がかかり苦しかったです。

一方で21日入浴後ベッドへ移動中に起きた頭部後屈はヘルパーさんが状況を見ていて、透明文字盤での意思伝達もスムーズにできました。この時は迅速に対応していただけたので苦痛がなかったです。


気道閉塞は以前にも体験してますので対策を講じてきたつもりでしたが、1年間にヘルパーさんが10名も増え1週間を以前の2倍20名で回し細切れ介護になってしまい、経験の浅いヘルパーさんの育成が遅れています。


注意事項については壁に掲示したり、申し送りノートに書いてますが、理解度や意識の度合に差があるので個別に見ていく必要があります。


足で文字入力は疲れますが、今もこうして文字が打てるのは理学療法の先生、鍼灸の先生のおかげだと感謝しています。


ヘルパーさんが複数の事業所様へは責任者様を通して指導をお願いしています。

在宅生活は良くも悪くも自分次第だと思います。

以上最近続いている身体の異変と対処法についてお話しましたが、ALS患者は皆さん症状が様々なので対処法も違います。



わたしの息苦しさとよく似た症状でも原因が異なるかもしれないので、参考程度に留めていただきますようお願いします。








最後までお読みいただきありがとうございました。

2023年 あけましておめでとうございます

あけましておめでとうございます  


今年もよろしくお願いいたします




お正月は身体に目立った変化もなく穏やかに過ごせました。
ベッド上で不自由な生活ですが、平穏に過ごせることが本当にありがたいです。


1月3日は5年ぶりに息子家族と娘夫婦が揃い深夜まで盛り上がってました。5年前はわたしもその中に入って会話をしていたのを思い出します。


別室でヘルパーさんと2人で静かにテレビを観てましたが、孫が何度か覗きに来てくれました。

上の子は小学6年で身体が大きく話し方もしっかりしてきて、成長した姿が見られたのが嬉しかったです。


楽しい時間があっという間に過ぎていきました。



今度は夏休みに来てくれるのを楽しみにしています。







最後までお読みいただきありがとうございました。

9年前の悪夢

9年前のこの時期に遡ります。かかりつけ医に紹介してもらった総合病院で検査の結果、名古屋大学病院を紹介されました。



年内で決着をつけ穏やかなお正月を迎えたい気持ちでしたが、診察は短時間で終わりました。年明けに2週間ほど検査入院していただきますと告げられ、精神的ショックは大きかったです。

仕事のことも気になってました。とにかく忙しく数年間まる1日を休んだことがありませんでした。
その年は仕事が益々多忙を極めました。

名古屋大学病院で診察を受ける1ヶ月前のことです。右手を治すための整形外科通院も月2回程度でしたが、大腸がん検診だけは受けておこうと会社の帰りにかかりつけ医院に立ち寄りました。
先生と言葉を交わしたときでした。「鼻の下の溝が少し歪んでますね。顔面麻痺かな。病院への紹介状を書くので精密検査を受けてください。」と突然言われびっくりしました。鏡で見ると鼻の下の溝がわずかに左へ寄ってました。
先生はわたしの不安を取り除こうと「検査は念のためにやるだけなので、大丈夫です。」と言われたので、病院へ行くまでの数日間は先生の言葉を信じて余り気にせず仕事に集中できました。


先生はわたしの身体の異変についてどこまで知ってみえたのだろうか。まさかALSを発症してることまではご存知でなかったのではと思います。10万人に1名〜2名の確率で発症する難病ですから。
何も知らないわたしはその頃右手が上がりにくく首や舌にも違和感がありましたが、どんな病気であろうが日本の医学なら治せると信じてました。


毎年年末はお墓参りに行き、清々しい気持ちで新年を迎えるのが常でした。
しかし、この年はとても重苦しい気分でした。年明けの検査入院で病名が明らかになるのがとても不安でしたが早く知りたかったです。この時すでに発症から6ヶ月が経過していました。


年明けに入院し、予定通り2週間の検査で病名が確定しました。筋萎縮性側索硬化症(ALS)と告げられてもピンときませんでしたが、全身が麻痺し身体が動かなくなり余命が3年~5年と聴いて涙が止まりませんでした。


前年に孫が生まれ、定年まであと少し頑張れば楽しい人生が待っているはずでした。それが一瞬にして吹っ飛び絶望の淵に立たされ家族も地獄でした。
ALSは難病の中でも最も残酷な病気の部類に入るといわれてます。数年以内に襲ってくる呼吸不全に対して、人工呼吸器を着けて生きるのを選択する患者がわずか30%という数字がすべてを物語ってます。



ALS治療研究推進のためにはこの病気を多くの人々に知っていただきたいと思います。



そして闘病生活10年目に入っても気持ちだけはALSに屈っすることなく前向きに生きる姿勢を伝えていけたらと考えています。







最後までお読みいただきありがとうございました。

ヘルパー事業所さまからのプレゼント

先週日曜日の夜に名古屋駅前のイルミネーションを観に行きました。
夜の外出は人工呼吸器を着けてからは初めてでした。



本来なら夜のヘルパー2名介助は予定が組まれてないのですが、管理者様のご厚意で夜1.5時間2名介助での外出が実現しました。





大名古屋ビルヂング5階にある庭園が輝いていたので覗いてみました。



凄い人でしたので諦めて、ヘルパーさんに写真だけ撮ってもらいました。
中の様子です。






駅前のクリスマスツリーは巨大で迫力がありました。



街路樹のイチョウも照らされ綺麗でした。


癒されました。


少し早いですが、クリスマス気分を味わえてよかったです。









最後までお読みいただきありがとうございました。

定期受診のあとの散歩

外に出たくてしょうがないわたしですが、一昨日大学病院の定期受診のあとで、道路を挟んで向かえにある公園を散策しました。



市内では桜の名所として有名です。
残念ながら桜の葉っぱは散った後でしたが、わずかに紅葉が残ってました。



大学病院での定期受診は9年目ですが、紅葉の季節に訪れたのは今回が初めてでした。



こんなに綺麗な風景が観られるとは楽しみが一つ増えました。




12月に入り気温が随分下がってましたが、外気を肌で感じられたのが嬉しかったです。









最後までお読みいただきありがとうございました。