愛車を処分して5年が経ちました
愛車を処分して5年が経ちました。
1人でドライブで遠出してご当地の料理を食べるのが、定年後の楽しみでした。
運転席で音楽を聴きコーヒーを飲みながら、美しい大自然の景色を眺める非日常体験が大好きです。
わたしの場合は右腕、右肩から症状が出てましたが、ALSの診断を受けた頃はまだ運転ができました。
ところが、進行が早く数ヶ月後にはハンドルを切ると右肩がかなり痛くなってました。
右手も上がりにくくなり、運転開始でハンドルを握る時は右膝を上げて右手をハンドルまで運んでました。
その年の秋に胃瘻造設手術を受けましたが、10日後には奇麗な紅葉を観たくて中央高速道路をとばして長野県北八ヶ岳までドライブしました。
蓼科からメルヘン街道を通って麦草峠まで行く途中、紅葉の名所に立ち寄りました。
錦秋の時期に高原を旅行したことが殆どなかったので、とても奇麗な紅葉に感激しました。
写真中央の山は南アルプス北岳(国内標高2位)と間ノ岳(国内標高3位)です。
風が冷たく青く澄み切った空に紅葉が映えてとても奇麗でした。
高速道路を走ったのはこのドライブが最後となりました。
その後は1ヶ月に1回程度通院時に運転してましたが、翌年春には両手が上がらなく運転できなくなりました。
妻も娘もペーパードライバーで運転する気はないので手放すしかなかったのですが、その後も車庫に置いたまま数ヶ月が経ち、車検が近づいたので処分しました。
走行距離は4万キロでその内の7割が通勤で走った距離でした。
まだ新しかったのでとても残念でした。
しかし、これから闘病生活を乗り越えていくにはもっと辛いことが沢山あると考え、気持ちを切り替えました。
あの日から5年が経ち、食べられなくなり、気管切開手術をして人工呼吸器をつけ、声を失い、立ち上がることもできなくなりました。
今振り返ると障害の進行は予想していたよりも緩やかだったと思います。
唾液吸引チューブを24時間くわえ、人工呼吸器を着けて、1日20回以上の痰吸引があります。声が出せない。排泄も訪問看護師さんやヘルパーさんのお世話になってます。
診断を受けた時は人工呼吸器を着けた生活を想像するのが恐ろしくて、そこまでして生きたくないと思ってました。
しかし、人間いつかは死ぬのが分かっていても、この世から自分という存在が消えてしまうのが恐ろしくズルズル来てしまいました。
辛いことが多いですが、友人からのエールや新しい出会いなど多くの方々に助けられて幸せだと思っています。
今は両足で文字入力できることが精神的な支えとなっています。
前を向いて進むだけです。
まだまだ心は折れてません。
頑張ります。
最後までお読みいただきありがとうございました。
このブログへのコメントは muragonにログインするか、
SNSアカウントを使用してください。