あの日から6年が経ちました
あの日から6年が経ちました。1月30日は忘れられない日です。
医師からの説明は以下の通りでした。
あなたの病気は筋萎縮性側索硬化症という病気です。平均して2年から4年の間に寝たきり状態になり、その後呼吸不全がやってきます。このときに人工呼吸器をつけるかどうか決めなければいけません。人工呼吸器を付けると外すことができません。 この他に、燕下機能も障害が進むと食べることができなくなるので胃ろうをつけることが必要となってきます。
奈落の底へ突き落とされた気持ちでした。
わたしは医師から大変な病気だけどがんばりましょうと希望がもてる言葉を期待していましたが、それもなかったので、この病気がどれほど過酷なのかを感じました。
闘病生活の辛さや介護による負担増などの理由から、7割の患者が人工呼吸器を選択されていません。
ALSと診断された約3ヶ月後、まだ気持ちが整理できない状況の中で、医師から人工呼吸器を選択するか否か決断を迫られましたが、回答を引き延ばしていました。
そして、10月には早くも胃瘻造設手術をしましたが、退院日を1日延ばして意思表明を求められたのです。
気管切開をして人工呼吸器を装着し、声も出せずに寝たきり生活を送るなんて絶対無理と思っていました。しかし、何度死を意識しても覚悟ができませんでした。
考えても考えても結論が出せない状態でしたが、医師から途中で変更ができるのでと言われて人工呼吸器選択に決めました。
因みに家内からは人工呼吸器の可否について、どちらでも従うので自分で決めてと言われました。理由は人工呼吸器をつけてと言ったら最後まで看なければならない責任があるので約束できないということでした。
私は幸いにも進行が遅いほうでしたので、SNSやALS協会主催の患者会などから多くの情報を入手し、先を見据えて居住環境や医療・介護体制の整備を進めることができました。
身体の不自由が進む前に準備できることについては先にやっておくように、鍼灸治療の先生からアドバイスを受け幾つかを実行に移しました。
これは療養生活を送る患者・家族にとって大変重要なことです。先々の不安も少しずつ解消できました。
そして、今年は自分らしい生活を送るために、新たなハードルを乗り越えようと踏ん張っています。
ここまで来れたのは家族の協力、友人からの励まし、良い先生との出会い、医療・介護スタッフ他多くの方々に支えられてきたからであることを決して忘れてはいけない。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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